「今の防水業界がこれでいいのか」「いい仕事をすること、社会的貢献をすることと、防水工事で利益をあげることは両立すべきだ」と考えるあなたに!

2012年2月15日号(№84)

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2012年 如月きさらぎ 平成24年、昭和87年、大正101年、明治145年

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復興需要と人手不足に対応

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コスミック工業会新年会
2012年1月26日 東京・中野サンプラザでコスミック工業会(渡辺光会長・写真)新年落語会と賀詞交歓会が開催された。
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日大湯浅研で、実験映像収録の様子を聞いてきました。

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NHK BSプレミアム「アインシュタインの眼」
2月11日(土)18:00~18:44放送
茅葺き屋根が何故雨漏りしないのか?最新鋭の様々なカメラが迫る。>>つづきを読む

河童連邦共和国元老が原発汚染対策を提案

これ

放射性廃棄物をアスファルトで固めようという案
全国の「河童愛好家がそれぞれの地域で河童村」を造り、村が集まって河童連合共和国を25年前に建国した。「水は命 河童は心」を国是とし、自然環境保護を活動の柱とする。
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絵日記

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アスファルトのルーツを求めて

美術館入口の資料コーナーに置かれた「和」のアスファルトのルーツ特集号

佐野市立吉澤記念美術館。「小堀鞆音没後80年展」会場入り口の資料棚に置かれた、田島ルーフィング社内報「和」のアスファルト特集ページ。

総合防水メーカー田島ルーフィングの社内報「和」に天智天皇と防水の話が、分かりやすくかかれています。もちろん、「燃土燃水献上図」が紹介されています。

昨年2011年10月1日、防水の起源にかかわる日本画「燃土燃水献上図」が発見され、栃木県佐野市立吉澤記念美術館で、初めて一般公開されました。これは我国歴史画の父・小堀鞆音(ともと)が日本書紀に書かれた「越の国から、燃える土(アスファルト)と燃える水(石油)が天智天皇に献上された」という一節を絵画化したものです。この画の再発見に、総合防水メーカー田島ルーフィング社長・田島国雄氏が関わっていました。その時の様子をルーフネット編集長取材日記(2011年12月25日)から要約して、これを今回の前文してみました。

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田島ルーフィング東京営業所にて。(左・田島国雄社長、右・末武 佐野市立吉澤記念美術館学芸員)

2011年6月。行方不明だった小堀鞆音(ともと)画「燃土燃水献上図」が、JX日鉱日石エネルギー㈱戸田保管庫で見つかった。6月20日午前10時30分、田島国雄社長、窓口の綿引友彦氏、ルーフネット編集長立ち会いのもと、東京・岩本町の田島ルーフィング東京営業所会議室において佐野市立吉澤記念美術館・末武さとみ学芸員が画を鑑定した。そして「大和絵の系譜を継ぐ歴史画の父・小堀鞆音の優品である」ことを確認。翌日にはこの作品を10月1日から開催される予定であった佐野市立吉澤記念美術館「小堀鞆音没後80年展」へ追加出品すべく、絵の所有者であるJX日鉱日石エネルギー㈱と出展交渉することが決まった。

田島ルーフィングからジェイエックを通じてJX日鉱日石に話が行った時期は絶妙のタイミングであった。というのは、平成22年7月1日に誕生した『JX日鉱日石エネルギー株式会社』は合併による本社移転に伴いそれぞれの財産目録を作成しており、ほぼ作業を終えた時期だった。もちろん美術品も例外ではない。ジェイエック真瀬部長からの調査依頼を受けてリストを調べたJX日鉱日石エネルギーの広報室は、そこに小堀鞆音の名を見つけ、戸田保管庫でケースに入った「燃土燃水献上図」を確認し、6月はじめジェイエックに連絡、ジェイエック真瀬氏から田島ルーフィングに「発見」の知らせが来た。

さらに画の背景に関してはルーフネットの調査の信憑性も確認され、翌日には「燃土燃水献上図」の追加展示決定の連絡が来た。こうして、防水の起源に関わる歴史画の本邦初の一般公開が実現し、2011.10.1~11.13まで佐野市立吉澤記念美術館「小堀鞆音没後80年展」の目玉として展示されたのである。

アスファルトのルーツを求めて

田島ルーフィング社内報「和」2011年10月 355号より

ルーフィングの製造や、施工時に使用するアスファルト。原油を精製して作ります。これは石油アスファルトと呼ばれ、現在ではもっとも一般的に流通していますが、工業製品として注目を集めはじめた明治時代には、なんと国内で天然のアスファルトが採掘され、製品として利用されていました。
もっと驚いてしまうのは、今をさかのぼること約1340年前、この天然アスファルトが燃える土として朝廷に献上されていたとことが、日本書紀に記されていることです。

歴史に刻まれたアスファルト。いったいどこで産出されたアスファルトだったのでしょうか?

和④

日本書紀と燃える土

日本書紀には、第38代天智天皇7年(668年)7月「越の国より燃土、燃水を献る」との記録があります。この越の国とは、越前・越中・越後を含む広範な地域とされています。当時は、珍しい物品があると天皇に献上するという習慣があり、越の国で採掘された燃える土、燃える水が献上されたようです。

和②

この越の国は、いったいどこをさすのでしょうか? 新潟県の黒川以外にも候補地はあったようですが、当時の歴史的背景や地政学的な見地から、現在では新潟県胎内市黒川周辺が、日本最古の原油献上地とされています。燃える土については、石炭と表記する文献もありましたが、原油との関係から、アスファルトであることがほぼ確実視されています。

燃える土と燃える水、その献上の様子を再現したお祭りが黒川で催されていると聞き、早速取材に訪れました。

和③

黒川燃水祭

早速伺ったのは、新潟県胎内市黒川にある「シンクルトン記念館」。いまでも建物の近辺では天然ガスが噴出し、原油のにおいが鼻を突きます。ここには明治時代に原油を採掘していた当時の資料が展示されており、わが国の石油産業勃興期の風景を見ることができます。
シンクルトン記念館がもっとも賑わうのが「黒川燃水祭」。日本書紀に記された「越の国」が、黒川と断定されたことから、毎年7月1日に「燃える水」の神事と献上行列が行われています。神事・行列の様子は、「燃土燃水献上図」(大正3年:小堀鞆音作)を範にしたもの。1000年以上もの昔、飛鳥時代をしのぶ装束で執り行われます

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神事は、油壷(自然に原油が噴出していた湖沼)から油を採取する「献上採油の儀」、採取した油に点火する「点火の儀」、そして火を鎮める「清砂の儀」へと進みます。壷に収められた油は、天智天皇を奉った近江神宮に献上されます。この献上の様子を再現したのが、神事の後に行われる献上行列。白装束を身にまとった越の国黒川臭水遺跡保存会の皆さんが、献上図さながらに行列を作り、燃水を収めた壷と、燃土を収めた行李を運びます。

今年は、黒川燃水祭に初めてアスファルト防水関係者が招待されました。防水業界からは、新バーレックス工営(株)丸山会長が参加されました。長くアスファルト防水に携わった丸山会長は「アスファルトのルーツに関わる神事に参加できたことを光栄に思います」と述べられました。

そして、黒川で採取された原油は天智天皇を奉った近江神宮へと献上されます。

燃える水、近江へ献上

京都駅からJR湖西線で2駅目、大津京駅で下車し徒歩15分の距離にある近江神宮。大化の改新などで知られる天智天皇を奉っています。越の国・新潟県胎内市黒川で採取した原油が、7月7日七夕の日に、近江神宮で催される「燃水祭」にて奉納されます。

和①

日本書紀に起債された「燃える土」が、ほぼアスファルトであることが明らかになったことを受け、黒川の燃水祭に続き、今年はじめてアスファルト防水の関係者にも公開されることとなり、神事にご招待いただきました。

近江の燃水祭は、燭台に火が灯され、黒川で採取された燃水を奉献し、参列者による献灯が行われます。日本書紀の奉唱後、女性4人による舞楽「八仙」が奏され、参列者による玉串拝礼、宮司挨拶と続き、祭典は終了です。梅雨の時期にしては珍しい激しい雨が降りしきるなか、粛々と神事が進行しました。黒川の燃水祭と比べると、より宮中の儀式のような印象を受けます。

和⑦

参列者のほとんどが、関西の石油業界関係者。燃土燃水と日本書紀にあるにもかかわらず、集った方々には燃える土についての認識は薄かったようです。
以前は、近江神宮も燃える土を石炭などと表記していましたが、現在では、燃える土がアスファルトであることを積極的に表明するようになりました。数年後には燃水祭が燃土燃水祭になっているかもしれません。

『漏』でつながる 漏刻祭 

天智天皇といえば、「時」の神様。石枡から漏れ落ちる水の量で、時を計り町民に時刻を知らせたということです。境内には、この漏刻(水時計)はもちろんのこと、日時計も展示されています。時の記念日6月10日には漏刻祭が行われ、多くの時計製造関係者が参列されるそうです。

和⑧

石枡から「漏」てたのが「水」、この水が人の役にたったのですから「漏水」も捨てたものではありません。水つながりの不思議な縁を感じます。
さらに、天智天皇は漏水だけではなく、屋根や雨漏りにも関係があるのをご存知ですか?

漏水を謳った天智天皇

天智天皇は歌人としても有名で、百人一首の第一首に選ばれています。

「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣では 露に濡れつつ」 

意味は、秋になり、刈り入れ前の稲や刈り取って収納した稲を、鳥や獣に荒らされないよう夜通しで見張りをしている。粗末な造りの仮小屋では、屋根をふいてある苫の目があらいので、私の袖は夜露に濡れて乾く暇もないことである。といったところでしょうか。これは、まさに雨漏りを謳った歌です。驚いたことに、百人一首は雨漏りの歌からはじまっていたのです。天智天皇は、アスファルト、漏水、屋根や雨漏りにも縁がありました。

「燃土燃水献上図」一般公開へ

アスファルトのルーツについて、話題のもととなった小堀鞆音作の「燃土燃水献上図」が10月1日より、栃木県の佐野市立吉澤記念美術館にて一般公開されます。大正3年に日本石油)当時)が創立30周年を記念して小堀に依頼したのが献上図。防水関係の歴史書には、たびたび登場してきましたが、ここ数年その行方が分からず存否が案じられていました。2010年7月に新日本石油とジャパンエナジーが合併、今年に入り本社移転に伴う備品整理をしていたところ、その存在が確認されたのです。

今年は、小堀鞆音の没後80年にあたることから、生誕の地佐野では記念の展示会が催されます。この絵について美術館と連絡を取ったところ、小堀の正式な作品集に記録が無いため、ぜひ拝見したいとの申し入れがあり、学芸員に献上図の鑑定をお願いしました。

検定の結果、小堀の秀作であることが認められ、急遽小堀鞆音没後80年記念展への出展が決まりました。絵の誕生から90余年。 紆余曲折を経て、はじめて一般公開されることになりました、これもアスファルトの歴史に残る出来事かもしれません。

和⑨

黒川から近江へ、アスファルトをつないだ日本書紀の一場面を、ぜひ皆さんも御覧ください。

(綿引友彦・記)

(写真・ルーフネット森田喜晴)


「BOUSUIデジタルアーカイブ」防水歴史図書館

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我が国の防水の歴史を考察する上でどうしても欠かすことのできない文献が何冊かあります。
防水歴史図書館(BOUSUIデジタルアーカイブ)では、そんな文献を1冊ずつ選び、本が書かれた当時の様子、おもな内容、その本のどこが「すごい」のか、現在生きる人たちにとって、どんな価値があるのか、それぞれの資料を担当するキュレーターが、時には執筆関係者への取材を交えて、分かりやすく解説します。

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