「今の防水業界がこれでいいのか」「いい仕事をすること、社会的貢献をすることと、防水工事で利益をあげることは両立すべきだ」と考えるあなたに!

田中教室

田中教室

漏水が減らない隠れた理由

「田中教室」
漏水は誰の責任か
田中享二 東京工業大学名誉教授

PG見開きP1290046

発泡性の親水性ウレタンによる止水工法である「ピングラウト工法」の施工団体・ピングラウト協議会(柿崎隆志会長兼技術委員長)は会報「PGニュース」を発行している。A4版8頁。

PG表紙 P1290047

平成26年11月に発行された最新号「PGニュース39号」に、東京工業大学田中享二名誉教授が「防水の不具合の責任」に関して、最近の研究結果を解り易くコンパクトにまとめて執筆している。

田中氏とピングラウト協議会の許可を得て、転載いたします。

漏水は誰の責任か

東京工業大学名誉教授 田中享二

(画像をクリックすると拡大します。)

画像の説明

画像の説明

2015/02/02(月) 00:10:11|田中教室|

ルーフネットの重点項目「躯体保護と防水」とは 

「防水も志を高く」

若王子神社宝形

琵琶湖疏水が東山をくぐり、若王子(にゃこうじ)で顔を出すと、そこからが銀閣に至る哲学の道。これは''若王子神社の境内におかれた、地仏堂
の方形(ほうぎょう)。''地仏堂にはかつて薬師如来座像が安置されていたが、明治4年、神仏分離の際、この地から移されたあと、現在は国宝として奈良国立博物館に所蔵されている。
(この写真は記事とは関係ありません。写真撮影:ルーフネット編集長・森田喜晴)

※※※

田中享二 先生の言葉によると

私は、北海道大学を昭和44年に卒業して、修士に進学しました。学部のときからですから42年間、防水の研究をずっと続けており、現在に至っています。

東京工業大学建築物理研究センター 田中享二 教授は日本の建築材料研究の第一人者で、1996年に「高分子系防水材の耐久性」で日本建築学会論文賞を受賞しています。10年以上前から、先生はこう言っていました.

コンクリートというものは水を通すものです。しかもひび割れのないコンクリートを作る事は現実的にはとても難しい。そのひび割れから水が入ってくると、中の鉄筋に悪さをする。もし水が入らなかったら、鉄筋コンクリートの建物はとても丈夫で、100年以上平気で持ちます。だから防水の役割は単に雨漏りを防ぐだけでなく、躯体を護り、建物を長く維持してゆくと言う、とても大事な役割を担っているのです。

ルーフネットでは、前身となるブログ「防水屋台村を創ろう」を立ち上げた2006年、最も大事なコーナーとして田中先生の「躯体保護と防水」を位置付けました。「防水も志を高く」と言う先生の言葉に共感したからです。そして「躯体保護と防水コーナー」の趣旨として、編集長はこう書いています。

なぜ水を通すのか、なぜひび割れが入るのか、どの位のひび割れでどれくらい水が入るのか?防水の役割は何か?コンクリートと鉄筋の性質を知って、防水工事に何が求められているかを考えます。

さて最近、世の中では「躯体保護」より「サステナブル」という言葉の方の方がよく目に着きます。講演会やセミナーの場で田中先生は、工事に携わる人達か、メーカーの営業なのか、技術者なのか、研究者か。聞く人に応じて、実に分かりやすく、防水の果たすべき役割を語ります。

例えば、職人さんたちの多い講演会では、こんな感じでした。

コンクリートは丈夫な建築材であるが、宿命的にひび割れる。このほかジャンカ、打継、コールドジョイントなど施工過程で弱い部分が生じ、ここからコンクリートの劣化が始まる。 誇り高いコンクリート技術者は「コンクリートの表面を保護する」と言うと、快く思わない。われわれの仕事をそんな彼らにどう説明すればよいか。今日はその方法をお知らせします。

講義は、木、鉄、コンクリートはそれぞれ空気中・土中でどんな具合に劣化してゆくのか、ひび割れはなぜコンクリートの耐久性に大きく作用するのか、など極めて分かりやすい写真や図を示しながら進みました。これなら現場作業者が自信を持って自分の仕事の内容を、コンクリート屋さんや、マンションの管理組合の人たちに語れますね。

このコーナー・ルーフネットの「躯体保護と防水」はそんな田中先生の講演の中から、ぜひ聞いて欲しい話を紹介します。

今回は、田中享二東京工業大学教授が2010年8月27日、品川プリンスホテルで行われた全国アロンコート・アロンウォール防水工事業協同組合総会で行った特別講演「超サステナブル建築と防水」の記録です。5回に分けてご紹介いたします。

超サステナブル建築と防水 ①

百年・二百年建築、千年建築の「防水」をどうする?
~Dr.田中享ニの「躯体保護と防水」セミナー~

画像の説明
「超サステナブル建築と防水」

サステナブルとは詰る所「長寿命と省エネ」

画像の説明

超サステナブル建築とは

環境負荷をかけずに、数世紀に渡り使い続けられる建築のこと

「サステナブルな建築」で、「サステナブルな社会をつくる」とか、最近は「サステナブル」と云えば、何でもかんでも免罪符になるような風潮があります。本当にサステナブルというのは論理的に成立するのか、個人的には疑問のないわけではありませんが、言葉の定義で、あまりごちゃごちゃ言っても始まりませんので、一 応「サステナブル」といたしました。
 今日の話は、サステナブルですが、これをもう1ランク上げるようなことを考えたらどうかということで、おこがましいのですが「超サステナブル建築」という概念を作りあげたわけです。
“環境に負荷をかけない”、もう1つは“数世紀にわたり使い続ける建築は何なのか”ということです。このことを考えたいというのが今日の主題です。

昔の建物はサステナブルであった。

画像の説明
山形・田麦俣(たむぎまた)

「サステナブル」と現代の我々は偉そうに言うわけですが、よく考えてみたら、昔の建物は皆サステナブルです。
 これは、自分の持っている写真の中で気に入っているものの1枚です。今から20年前になりますか、茅葺屋根の研究に熱中していた時期があり、いつも梅雨の頃になると、日本全国を旅して写した時のものです。
  これは山形県の鶴岡市田麦俣(たむぎまた)の養蚕農家です。作られたのは明治初期で、100年程経っています。屋根は茅で、構造は木造、壁は土、窓は障子ですから、環境にやさしい材料だけで構成されています。100年経っても、まだ頑としていますので、200年や300年位はこのまま行きそうです。そういう意味では、「昔の建物はサステナブルだ」ということになります。
 「だったら、その昔に戻ればいい」という考え方もあると思います。いまの生活スタイルはやはり異常で、私も少し戻したほうがいいかなと思いますが、それはどこまで戻すかが問題で、明治初期までは戻すわけにはいかない。
 そういう意味で、戻すという考え方もありますが、そうすると経済が成り立っていかないとか、いろいろなことがありますので、新しい形のサステナブル化を模索するのが、いまの我々に課せられた課題だと思います。

今、建築は再度サステナブル化を目指さなければならない。

 もともと日本にもサステナブル建築はたくさんあるけれども、現代の「サステナブル建築」、つまり、昔と違った形のサステナブル建築を考えていかなければならないということであります。
 地球問題は明らかに切迫しております。

地球環境問題は切迫している。

地球温暖化
IPCC 第4次報告書 :人類が誘発した気候変動が進行中

京都議定書を日本はクリアできるか。

温室効果ガスの排出量を90年度より6%減らす。

12.61億トン(1990年)→ 11.86億トン
しかし2008年度12.86億トン 1.9%増。

世界中の気象関係者が集まる会議から報告書が出されていますが、「今の気候変動は、人類の活動が原因である」と断定しているわけです。
 それで、京都議定書で温室ガスを減らそう、1990年代レベルまで戻そう、ということをやっていますが、現実は増える一方です。それで現在、政府は「CO2排出量の25%削減」を目標に作業を進めています。
 こういう話は、総論賛成、各論反対の典型ですが、今年の夏なんかを経験しますと、地球環境問題は避けて通れない大事な問題かと改めて思います。
 環境の問題は、世界の人がみんなで解決を図っていかなければならない問題です。これに建築側から寄与するには、次の2つの方法があると思います。
  ひとつは建物の長寿命化を図ること、もう1つは省エネ建築をつくることです。建物を造るのに種々の建築材料を用いて建物し、それを建物所有者が使い始めま す。その時要する冷房、暖房や照明という建物の運転をする費用も加え、さらに最後に壊す費用も加えた総計がライフサイクルコストと呼ばれます。この全ライフのコストをミニマムにすることです。最近はライフサイクルCO2等で評価することも盛んに行われています。
 私も大学院で建設材料耐久物性というのを教えており、ライフサイクルアナリシスの話をします。建物全ライフのどこにお金が一番かかっているかというと、私の学生時代の建物では、材料をつくるところでした。意外と建築現場ではそんなにエネルギーを使っていません。今の建物は、40~50%が、建物の運用、照明、空調、エレベーターなどにかかっています。昔は長寿命化だけでよかったわけですが、今は省エネにすることも大事というわけです。
 そういうことで、大きいものを2つ挙げるとすると、「長寿命化」と「省エネ」ということになります。

建築の側からの環境対策
建物の長寿命化 → 超サステナブル建築
省エネ

続く

2011/03/04(金) 21:02:08|躯体保護と混凝土|

超サステナブル建築と防水 ②

百年・二百年建築、千年建築の「防水」をどうする?
~Dr.田中享ニの「躯体保護と防水」セミナー~

田中享二東京工業大学教授が、全国アロンコート・アロンウォール防水工事業協同組合総会(2010年8月27日、品川プリンスホテル)で行った特別講演「超サステナブル建築と防水」の記録を5回に分けてご紹介しています。今回は第2回目です。

「1000年もたせる」って、どういう事?

スライド6

 次に建物の寿命のことです。これは少し古いデータですが、東京の建物(オフィスビル)の寿命を早稲田大学のグループが調査研究してくれた、貴重なデータです。
 1994年の調査の時点ですが、東京都区内ですと平均35年、40年弱ということです。東京の中心地ですので、建物がぼろぼろになったというよりは、オフィスとしての機能が満足でなくなったことが多いと思います。そういうことも含めて、建物の寿命は30~40年ということです。
 その後、これに類する調査がいろいろなところから出ましたが、40年かそれくらいであります。これで、少しまずいということです。

スライド7

 先ほどの研究発表は1994年ですが、1997年頃から急に日本の建物の寿命の短さが強調され、これはまずいということで、建築学会長名で「建物の炭酸ガスを30%減らして、建物の耐用年数を3倍にしよう」というスローガンが出されました。
 建物の平均寿命は35年ですから、3倍で約100年になります。そこで、「100年の建物をつくっていこう」ということになった訳です。研究も実務もその方向に向かおうということを、学会として宣言したわけです。
 それと、ちょうどリンクするような形で、国交省は住宅の品質確保法の促進等に関する法律、俗称「品確法」といわれる法律をつくりました。その中で、耐久性の重要性を指摘して、これからは3世代くらいを担保するような建物をつくっていかなければならないと示しています。3世代とは、ざっと90~100年くらいになります。
 そういう意味で、「100年はきちっとやれ」という方向になったということです。
 100年きちっと担保できれば、十分ではないけれど、国民の大方の方はそんなものだと言ってくれると思います。その後さらに「200年住宅」という構想が出てきました。200年というのは結構きつい技術です。また、年数も少し中途半端なため、行政は200年という言葉を省き、長期優良住宅ということで、制度を昨年度スタートしました。全体として、明らかに「長寿命化」という方向に向かっています。

田中スケールによる

スライド8-2

 ここからが私の話ですが、建物の寿命をどのように考えればいいかということを示したものです。
 建物は何年もつか。建物の耐久性関係の委員会の委員をさせられていますので、当該の建物に耐久性があるかを判定しなければならないことがあります。例えば鉄筋コンクリートですと、中性化を計算して、この建物は97.5年持ちますと云って、半端な数字を出してくる人がいるのですが、厳密な計算結果よりはどの程度くらいかが重要です。寿命が201年とか202年とか半端を言われても困ります。対数目盛くらいが良いのではないかと考え、対数目盛で建物の寿命を分類してみました。
 今、つくっているのは、学会宣言では100年くらい、、イギリスの住宅で100~110年くらい、アメリカで80~90年くらいだったと思いますが、いずれにしても、人の一生のイメージのように思います。そのため今つくろうとする建物は、生まれてから死ぬまでということで、「人生レベル」と名づけました。人の一生くらいということです。
 もちろんそれ以外の建物もたくさんあります。短いほうからお話ししますと、10年以内で壊すというのも、それなりにあります。ある一つの時代をつくっていく、デザインの潮流だとか、はやりとか、10年くらいで終わるので、10年位なら風俗関係の建物かなということであります。
 今日も午前中、中国からお客さんが来てくださり、上海万博のお話を伺ったのですが、博覧会レベルだと数カ月から1年くらいかと思います。
それから、私の子どもの時は神社のお祭りがありました。子どもにとってはそれなりに大きなイベントでしたが、その時には、サーカス小屋ができたりしますので、もっと短時間の建築、数日の建築もある。そういうのはお祭りのレベルかなと思います。
 これからお話ししようとするのは、100年超え建物です。100年を超えたら、中学校あるいは高等学校の歴史を思い出してもらえばいいと思いますが、「○○時代」という時代がつきます。そうすると、建物とワンセットになって文化がついてまいります。そうすると、数百年のスケールで考え始めますと、当然「文化とリンクする建築」になってくるわけです。建築史で、安土桃山時代の建築とか、江戸初期とかを習いますが、そのようなくくりです。
 今日、お話しようとしているのは1000年までで、そこから先は、インダス文明とかメソポタミア文明とかという文明のレベルなので、さすがにこれは枠外にします。
 もちろん、人類はもっと昔からいますので、そこは考古学といってよいかもしれません。
 こういうことを調べますと、これからは人生のレベル、文化のレベルの建物を作らなければならない、強く感じるわけであります。

1000年間使い続けること

耐用性(serviceability)が1000年ということ

 ところで1000年レベルの建物は、1000年使ってさえいればいい、ということではありません。何らかの形できちっと使えて、その期間が1000年だ、ということす。専門的には、「耐用性、サービサビリティ」という言葉がそれに対応します。サービスというのは、建物ができ上がって、それを実際に使っている状態を云います。だから皆さんに話しを聞いていただいているこの建物は、我々に対してサービスしてくれているわけです。これが「耐用性」の意味です。
 これが非常に重要なコンセプトです。重要なのは「使って1000年だ」ということです。

そのためには…

(1) 劣化に耐えること

(2) 位相差にたえること

社会的、経済的変化に追随する。

空間要求水準変化に追随する。

 そのためには、2つのことが必要だと考えております。
 ひとつには、まず建物が劣化に耐えることです。基本的には、そもそも物理的な存在として建物がなくなりますと、これはサービサビリティ以前の問題になりますので、とにかく建物をつくったら、それが数世紀にわたって頑張ってほしいということです。これが劣化に耐えるということです。
 2つ目は、位相差に耐えることです。位相差を生じさせるものは何かと言いますと、1つは社会環境です。建築は、も物理的な存在ですが、先ほどお話ししましたように、社会と一体となって、日々生きているものです。そういうものに、きちっと追随していかなければなりません。
 それと、経済的な側面もあります。一般に商業建築は特に経済性が要求されますし、土木的施設の場合には社会性が強く関係する傾向があります。
 それから、空間の要求水準性能も変わります。少なくとも本日お集まりの皆さんが子供のときのオフィスビルの空間の性能と、いま皆さんが会社で日々仕事をやられているところの状況を考えたら、もう天と地ほど違うと思います。最近のオフィスの床はほとんど二重床です。ケーブルやインターネット類のラインは床を走らせるとかというように、空間の要求性能が大きく変わっています。
 要求水準が変わったのに、建物が元のままですと、結局そういうものに追いつかないので壊してしまおう、ということになってしまうわけです。そういう社会とか経済の変化とか、あるいは我々自身の建物性能にたいする要求水準の高度化に対して、建物が追随してゆかなければなりません。建物はそういう宿命を背負っています。これに追随しきれなくなると、位相差が生じ、その位相差の分に負けてしまうと壊してしまおう、ということになるわけであります。
 そういう観点から、日本の超寿命建築をもう一回見てみようということを、数年前、研究室で大学の学生さんと一緒に作業としたことがありました。


日本にも超サステナブル建築はある。

 結論は、冒頭に申し上げましたように、日本にも超サステナブル建築はたくさんあるということです。それを少し見てもらいたいと思います。


伝統的な日本の建築の寿命

 それをどのように調べるかということです。幸い、建築学会には、私どものような建築の材料、工法、施工を研究しているグループ人以外に、建築の歴史を研究する方々もいらっしゃいます。そのグループが、いいデータベースをつくってくださっていました。

文献調査+ヒアリング(都内の建築)

『総覧 日本の建築』日本建築学会編、新建築社
  1. 北海道/東北 (1987)
  2. 関東     (1989)
  3. 東京     (1987)
  5. 東海     (1986)
  6-1. 滋賀・京都 (2000)
  6-2. 奈良・京都 (2002)
  8. 中国・四国  (1998)
  9. 九州・沖縄  (1988)

 この『日本の建築』という本は、北海道から沖縄まで、その地区の建築の歴史の研究者が調べて、それを地域ごとにまとめた本です。これをデータベースにして調べることにしました。
 また東京都内の建物は、直接現地に行って、建物の管理者に話を聞いたり、現地調査をするという作業も行いました。
 このなかのいくつかを紹介します。法隆寺の五重塔は607年ですから、もう1500年位の建物であります。
 奈良時代の正倉院の校倉造の有名な建物は、756年の建設で1000年以上経っている、ということです。
 10円玉の裏側に出ております宇治の平等院鳳凰堂は、平安の中期ですから、ちょうど1000年くらいです。

スライド14

 これは、最近私が撮った写真ですが、姫路城の本丸です。1600年、江戸時代の建設ですが、姫路城そのものは1300年代から築城が始まっております。
 たまたまこの写真を写した日は、中が見学できる最後の日であり、これから後3年から5年をかけて平成の大修理にかかるということです。徳川家康がここを豊臣方西国大名に対し睨みをきかせるキーステーションとして、気合いを入れてつくらせられたお城なんだそうです。
 お城のような大がかりな建物ばかりではなく、小さな建物でも結構残っております。例えば、京都の桂離宮は1600年建設ですから、400年近くたっています。
 近世の民家でも江戸のものはたくさん残っております。例えば、世界遺産に登録された、白川郷の合掌つくりは江戸の後期になります。
 建築だけではなくて、土木構造物もあります。特に九州は石でつくった橋がたくさん残っています。諫早の眼鏡橋は地震に強いということで、構造の人は非常に興味を持って見ていますが、江戸の末であります。
 明治に入ってからは、いわゆるお雇い学者を明治政府が雇用し、西洋に追いつけということで、西洋式のデザインの建物をたくさん作りました。例えば、司法省の建物があります。パブリックな建物以外には、横浜のレンガ街があります。

調査建物 : 4424棟

概要 : 建物名、施工年、築年数、所在地、設計者、施工者

建造物 : 回数、床面積、主体構造と材料、屋根構造と材料

用途

 調査は建築史学者の方々によりなされましたので、非常に精密です。そして有名な建物ばかりではなく、名もない建物も含まれています。全部で4,424棟の建物が掲載されていました。
 それで、我々はどういうことを調べたかと言いますと、建物の名前、築年数、建物の構造、そして屋根のことについてです。

スライド16

 その結果です。もちろん、現代に近づけば近づくほどたくさん残っているのですが、1000年を超えるのも結構ありました。500~1000年になると、500棟くらいは残っています。江戸からになってきますと、もう千数百残っています。今は明治から百数十年たっていますから、先ほど言いましたように、100年くらいの建物はむしろ新しいほうです。数世紀を経た建築が、日本にもたくさん残っていたことに改めて驚いたわけです。
 時々、「日本は木造建築だし、外国は石だから、日本の建築は寿命は短いと」言われる方がいますが、外国の建築だって、そんなに長いわけではありません。だから、材料のせいだと言ってしまうと、ちょっと誤解を招くかなと感じたわけであります。

スライド17

 それでは、どういう建物が残っているのか。これが重要です。そのため建物の用途を調べました。図をみてもらえばわかるように、真っ赤とブルーのところが圧倒的に多い。これらはいわゆる宗教建築です。
特に1000年を超えると、すべて寺院、神社仏閣です。今、日本に残っている木造建物の重要なものは、宗教建築が圧倒的だということが分かります。100年とか300年では、住宅が多く残っています。住宅といっても、豪商、豪農、名主さんとか、当時のお金持ちの人の家屋です。
100年となると明治の初期が入ります。ですから工場、灯台とか、西洋文化の影響を受けたものが入ってきます。それから少ないですが、お城も結構残っていることもわかりました。また学校も残っています。学校と云っても、江戸時代の藩校です。藩校は意外と多く残っています。
このように、一に宗教建築、二に権力と関係する建物、次に教育施設、それからお金持ちの住宅、大きくはこういうものが残っていることがわかってきたわけです。

スライド18

 次に、構造と用途が関係するかを調べましたが、一般的傾向は見出されませんでした。木構造、煉瓦造、鉄筋コンクリート、鋼構造といろいろ分けて調べましたが、どんな構造体でもいろいろな用途に使われています。

スライド19

 これは非常に重要です。かなりのものが用途変更されていることがわかりました。これを図中では、比で示しています。比ですので、木造は少なく見えますが、、母数が3,400と非常に多いので、なんと75棟が用途変更されています。煉瓦造は4分の1で26棟、鉄筋コンクリートは比では1/4ですが、実数は4棟でした。いずれにしても、用途変更がすごくされていることがわかったわけです。

用途変更例

木造
  学校 → 博物館
  住宅 → 郷土資料館、旅館

レンガ造
  市庁舎 → 図書館
  工場 → 博物館
  倉庫 → テンポ、レストラン

石造
  工場 → 博物館
  住宅 → レストラン

鉄筋コンクリート
  学校 → 博物館

 これは、その用途がどのように変更されているかを示したものです。
 木造の場合は、江戸時代の藩校は、博物館とかに転用されている例が非常に多く、住宅は、郷土資料館とか旅館とかに変更されている例くありました。煉瓦造の場合は、図書館とか博物館とか、最近は店舗とかレストランとかへの転用も多く見られました。
 いずれにしても、建物は途中で用途を変えながら生きている。今のところ残っているのは、博物館とか図書館とか、ややパブリックなものへの用途変更が多いのですが、最近は商業施設への変更が随分多くなってきています。
 これが、私が学生さんと一緒に1年間ほどかかって、先ほどの本をデータベースに克明にいろいろなことを調べた結果であります。

伝統的建築から読み取ることができる長寿命化建築の条件

(1) 劣化に耐えること

(2) 位相差にたえること

 こういう研究からわかってきたことが幾つかあります。それが冒頭申し上げたことと重なるわけです。

続く

超サステナブル建築と防水 ③

百年・二百年建築、千年建築の「防水」をどうする?
~Dr.田中享ニの「躯体保護と防水」セミナー~
建物の耐震性向上と長寿命化の超密接な関係

今回は、長寿命化建築の条件、地震・耐震性の話です。

阪神淡路大震災の経験を経て、日本中の建築界、特に構造エンジニアは地震でも大丈夫な耐震性向上に総力を挙げました。その結果は、今回の大地震にも反映されています。

構造エンジニアは、「どうだ、俺の設計した建物は、こんなにすごい地震でも大丈夫だったぞ、といいたい」ところがそんな大地震は数百年に1回しか来ない(きてしまいましたが)。だからその建物の耐震性を証明するには、地震に遭遇するまで長持ちしなくてはならない。
地震の来る前に、耐久性の問題から20年や30年で壊されてしまえば、努力が無駄になってしまう。耐震性と長寿命は一見似たような概念で、重なる部分もありますが、実は違う。
われわれ、建物の長寿命化作戦に関わる防水関係者は、構造技術者に対して「あなたの建物の耐震性のすばらしさを証明するために、建物は超寿命」でなければならない。と説明すればよいのです。ではどうぞ。

現存する「超サステナブル建築」から読み取る条件

伝統的建築から読み取ることができる長寿命化建築の条件

(1) 劣化に耐えること

(2) 位相差にたえること

 こういう研究からわかってきたことが幾つかあります。それが冒頭申し上げたことと重なるわけです。
 ひとつ目は、建物そのものが物理的存在として長く残っていることが重要です。2つ目は、位相差に耐えたということです。この2つの条件を満足しなければ、取り壊される確率が圧倒的に高くなるわけです。
 このことに対して、どうやって対処するかということが、次の段階として考えなければならないことです。

(1) 劣化に耐えること
 ・災害に強い、火事に強い。
  (この中には敷地が広いということも含める。)
 ・材料に耐久性がある。
 ・水分の浸入から防御されている。
 ・管理者がいる。
 ・維持管理手法が確立し、それが実行されている。

 それでは、劣化に耐えるということは、どういう条件が揃わなければならないかです。まずは、やはり災害に強いということです。劣化というと、ただ屋外の気象にさらされるだけと思うかもしれませんが、建物が数世紀長もちするためには、当然地震等の災害にも耐えることが重要であります。
 そういう意味で、地震に強い、火に強いことは重要な条件になります。その他、実際に現地に行ってのヒヤリングの結果では、関東大震災のときに、延焼されなくて残ったという例が結構あり、敷地が広いというのも、大きな条件です。
 あとは当たり前ですが、材料に耐久性があり、水分の浸入から防御されているということです。この辺は防水と関係すると思います。それから、きちっとした管理者がおり、維持管理手法が確立していて、それが確実に実行されていることです。こういう条件が揃うと、建物は物理的に頑張ります。作った建物が、数世紀にわたって残り続けることが可能になるわけであります。そういうことが技術的に担保されているかどうかが重要です。
 日本の木造の建築の場合、それを担保するような技術が揃っております。昨年、京都下鴨神社の本殿の中には1年に1回しか入れてもらえないのですけれど、たまたま拝観日で、内部に入ることができました。そこで、見ましたのは、木材は小口が非常に弱点ですので、小口のところは徹底的にカバーされていることでした。このカバーと意匠とが1セットになっているのが、日本の建築の巧みなところだと思います。擬宝珠のところも、この垂木の鼻先のところも、みんな普通で見たら飾りですが、耐久性から見ると、これは小口保護になっています。
 ですから、建物の木造を長もちさせることに関しては、非常に細心の注意が払われています。木材の小口を露出しているところは、下鴨神社本殿には、ほとんどないくらいということです。
 次は柱です。柱はどうしても下からの水分で腐ります。これも日本の伝統的な建築は、腐ったところだけ取りかえる「金輪継ぎ」という技術が完成しています。
 木造建築で言うと、こういう交換の技術、水から守る技術が、少なくとも数千年にわたってずっと開発されてきて、それが技術として伝わってきています。
 ですから、数世紀にわたる木造建築がたくさんあっても何もおかしなことはない、ということです。木造の建築について言うと、少なくとも棟梁の水準では、日本人は長寿命化技術を持っていた、ということであります。
 次は、2番目の位相差についてです。

(2) 位相差にたえること

 ・残したい建物 … 位相差を超越する建物

   宗教建築 … 永続性
   城郭 … モニュメント性

 ・用途変更や性能向上がなされる。
  位相差をなくする。(時代の要求に合わせる。)

 先ほどの調査の結果わかったことは、宗教建築、城郭の類は非常に長いものが多いです。なぜかというと、これらは残したい建物だからです。宗教建築では宗教の永久性というものが宗教建築を長くもたせる、という大きなドライビングフォースになっているのだと思います。また、お城は城下に住んでいる人には安心感を与え、また誇りを持たせるものであります。こういう建物は、生まれながらにして位相差を超越するものをもっています。
 ちょっと雑談になりますが、ことし4月に、姫路城を見させていただきました。そのとき、地元の方が案内してくださったのですが、その中のお年寄りのお話では、第二次世界大戦のときに爆撃を受けて、焼夷弾か何かが1発建物の中に入ったけれど、それが不発だったそうです。結局、焼かれずに済んだらしいのですが、姫路の町はみんな焼かれたけれども、姫路城だけが建っているのを見て、みんなすごく元気づけられたと、おっしゃっていました。「姫路城は不思議な強い運に守られている。」と言われましたが、姫路城はやはり残したい建物の№1なのだとつくづく感じました。残したいものは残るということです。
 それ以外の普通の建物は、実際にはそういう建物がほとんどなのですが、位相差をなくす努力が必要です。つまり、時代の要求に合わせて建物がどんどん変わっていけるということです。そのためには、我々が調べた範囲で言うと、用途変更、また最近の建築の技術で言いますと、耐震補強とか、いろいろな空調設備を入れるとかで性能向上がなされています。いろいろな意味で、建物はタフでなければならないと思います。
 ですからサステナブルを考えるためには、まず技術が必要です。

サステナブル化技術

(1) 100年オーダーを意識したサステナブル化技術

(2) 1000年オーダーを意識したサステナブル化技術

 サステナブル技術は、研究会で議論しましたが、時間の長さによって技術の仕組みそのものが違います。そのため、これを二つに分けて考えてみました。
 先ほど言いましたように、耐久性は対数目盛の話ですので、100年のオーダーと1000年のオーダーで検討しました。
 最初は、100年のオーダーのサステナブル技術についてです。

(1) 100年オーダーのサステナブル化技術

a. 設計の面
b. 構造の面
c. 構法の面
d. 材料
e. メンテナンス

 これを設計、構造、構法、材料、メンテナンスの5つのカテゴリーか調べた結果、実は100年オーダーのサステナブル技術というのは、今の時点で結構揃っていることがわかりました。

a. 設計の面

ライフサイクルコーディネーション : 全く同じ形態の長寿命化

SI建築 : 平面等の変更を許容しての長寿命化

 まず設計の面では、サステナブルを支える設計コンセプトがどんどんつくられています。
 例えば、ライフサイクルコーディネーションという考え方があります。これは建物の部位、部品の交換をハーモナイズ(調和)させてつくっていこうという考え方です。

スライド27

*注
カーテン : 2~4年
家具・内装 : 8年
建具・内装/建築設備/通信設備 : 16年
準躯体(外装・階段・屋根) : 16~32年
躯体 : 32年~64年(鉄塔:32年)
土地 : 無限大

 これは、ライフサイクルコーディネーションの中で私が一番好きなもので、NTTのアイデアですが、授業でもよくこれを紹介させてもらっています。NTTのどなたの発案かはわからないのですが、建物の構成要素のライフサイクルを2のべき乗で整理するという考え方です。
 それで、躯体は2の5~6乗、ざっくり言うと64年です。階段とか屋根はその半分、設備とか通信設備はその半分、家具ですとさらにその半分、カーテンだと2年か4年くらいということです。NTTですので通信設備がありますから、これは32年ということです。
 つまり2のべき乗であらわしますから、躯体が64年もつとすると、準躯体はその中で1回取りかえればいい、それから設備は4回取りかえればいい、ということが簡単にわかります。
 2のべき乗をベースとして、これをうまくハーモナイズさせてつくるということです。実際にこの通りやっているわけではないと思いますが、全建物のライフを評価する時、いつどのくらい費用が掛かるかということが簡単にわかる仕組みです。
 これのどこが何が一番気に入ったかと言いますと、土地が2の無限大と書いてある、このセンスのよさが非常に好きです。非常にわかりやすい説明だと思います。

SI建築

ストラクチャー → ライフの長いもの
インフィル → 必要に応じて交換

ライフに合わせてインフィルを交換することにより耐用性を長くする。
特に住宅に有効なため「SI住宅」と呼ばれることが多い。

 それから、最近出ているコンセプトでは、SI建築があります。ストラクチャー、すなわち柱とか梁とかという建物の本体は、100年とか200年もたせる。そして社会的要求あるいは経済的要求によって、建物の中は変わる可能性がある。その位相差に耐え得るための対応として、骨組みはライフを長くし、間仕切りとかは必要に応じて変えられるという建物です。これは、ストラクチャーとインフィルの頭文字をとって、「SI住宅」と言われることが多いのですが、こういうことを工夫することによって、先ほど言いましたサービサビリティを長くする、という設計の概念が出てきています。
 特に超高層の場合には、そんなに簡単に壊したりすることはできませんので、100年以上のライフの躯体を作り、インフィルはフレキシブルにする、ということであります。

b. 構造の面から

 次は、構造の面から見たらどうかということです。
 私のいる建築物理研究センターは、構造の先生も何人かいらっしゃいまして、一緒に仕事をさせてもらっているのですが、耐久性の話をしますと、構造の人は反応が非常によくて、「あっ、そうだね」とすぐ理解してくれます。どうしてそのことをすぐわかってくれるかというと、実はこういう理由があるからです。
 先般の阪神淡路の大地震で、やはり構造を強くしなければいけないということで、日本中の構造のエンジニアの方々は、いま耐震性向上に総力を挙げているところであります。
 耐震性を上げることの意味はどういうことかといいますと、大きい地震は何百年かに1回くらいしか来ません。そうすると、建物を設計したとき、耐震性をせっかく上げても、それが耐久性の問題により30年で壊されてしまうとしたら、設計者は、その間、地震に遭遇する可能性は低いですから努力が全く無駄になってしまう可能性があります。
 そうすると、自分の構造設計した建物は、100年とか200年くらいもって、それで大地震が来て、「さあどうだ。地震でも絶対大丈夫だったぞ」と、構造エンジニアの人は言いたいわけです。
 大きい地震は100年とか200年とか300年とかに1回しか来ない地震です。そうすると、長寿命化しなければ意味がなくなるわけです。ですから耐震性能を上げることと、建物の耐久性を長くすることとは、リンクしているわけです。

スライド30

 そういうことのために、構造の先生は、耐久性に対してすぐ反応してくれます。ですから、構造の人はみんな「耐久性はできるだけ長く」と考えてくれているわけです。
 そういう意味で、耐震性能の向上は、サステナブル技術を支えるための大事な技術要素であります。

耐震性向上の技術

サステナブル化技術の大事な要素

 皆さまもこれからはこういう視点で、耐久性のことを構造エンジニアの人に少し説明してあげてほしいと思います。

C. 構法の面から、:防雨・防水の技術

 次に構法面です。主として屋根、床、壁に関わる話です。当然、その中には、防雨・防水の技術があります。

防雨防水は雨漏れ防止以外にも大切な役割


建物保護により長寿命化を担保

 実は、防雨・防水の技術というのは、最近、私がいろいろなところでお話しさせてもらう機会が多いのですが、雨漏り以外に大切な役割があると説明しています。本当のことを言うと、多分そっちのほうが重要なのですが、建物の耐久性を担保するためには、実は防雨・防水が頑張らなければなりません。

続く

超サステナブル建築と防水 ④

百年・二百年建築、千年建築の「防水」をどうする?
~Dr.田中享ニの「躯体保護と防水」セミナー~

特別限定酒「享の宴」を囲む
東京工業大学最終講義後の謝恩会にて。この日のために醸した「享の宴」を囲んで。

ウェブマガジン「ルーフネット№41.4月3日号」、をアップするのは3月26日。週刊誌と同じように、次回の発行日をつけた号が、当月最新号です。発行の日付けが変だというご指摘がありますが、これはある規則にのっとっています。ルーフネットは月のフェイズにあわせて発行されます。新装第1号は2010年6月12日発行の「新月号」でした。2号は上限の月号、そして満月号、下限の月号と続きます。ほぼ7日おきの発行ですが、月4回とは限りません。
次号「新月号」の締め切りが近いので、今朝、田中享二教室の様子を聞くために電話してみました。先生は、今月中に研究室を引き払うために、学生たちと大掃除の真っ最中。最終講義や謝恩会、懇親会で撮りまくった写真は、改めて人形町の事務所に届ける約束をして電話を切りました。

今回の田中教室「超サステナブル建築と防水」編は4回目。話題はメインイベント「防水の目的は雨漏り防止だけじゃない」です。

以上

防水の目的は雨漏り防止だけじゃない

 次に構法面です。主として屋根、床、壁に関わる話です。当然、その中には、防雨・防水の技術があります。

防雨防水は雨漏れ防止以外にも大切な役割


建物保護により長寿命化を担保

 実は、防雨・防水の技術というのは、最近、私はいろいろなところでお話しさせてもらう機会が多いのですが、雨漏り以外に大切な役割があると説明しています。本当のことを言うと、多分そっちのほうが重要なのですが、建物の耐久性を担保するためには、実は防雨・防水が頑張らなければなりません。

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これは、私が説明に良く使う閑谷(しずたに)学校です。

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 閑谷学校の屋根は、こういう三層の屋根構造を持っています。もちろん、これはつくっていく過程の中でこうなってしまった、というところもあるのですが。建物で雨を完全に止めようとすると、日本の建物の場合、一層だけでは止めきれない。やはりフェールセーフの仕組みが非常に必要だということで、結果として三層の屋根構造になっている、という例であります。
 私も防水の関係で国際会議によく行きますが、会議に合わせて、防水の研究者が特別に1日だけ集まって、別途研究会を持ちます。もう何十年も続いています。最近の研究会の課題が、「フェールセーフシステムの屋根防水の仕組み」であります。
 わかりやすく言うと、防水層一層だと、万が一、何かあったらどうしようもなくなる。だから、何かの時のためにバックアップが必要なのではないか。これからは屋根設計も防水設計も、そういうことを考えていかなければならないのではないか、というのが、毎年1回集まっている研究会の課題です。
 でも、日本の閑谷学校は、既にフェールセーフの元祖みたいなことをやっています。三重の屋根ですから。この事を会議で説明したら、本当に感動してくれました。日本の棟梁というのは、建築の耐久性に関して非常に強い関心を持っていたと改めて思うわけであります。
 結局、日本の木造建築は何で長もちしたかというと、これはデザインと全く関係するのですが、個人的には次の3点セットが必要と考えています。

長寿命化のための伝統木造建築の3点セット

・勾配屋根

・深い軒の出

・高い床

 1つは勾配屋根、2つ目は深い軒の出、3つ目は高い床です。この3つが揃いますと、伝統的な日本の建物になります。

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 これが先の3点セットの例です。まず勾配屋根です。このことによって、雨水の停留を避け、雨水をできるだけ早く建物から離すことを、行っているわけであります。
 2つ目は、深い軒の出であります。柱や梁の木材に雨だ当たると、それらの劣化が早くなるからです。壁に紙を使っているのも関係しているかもしれません。すべての建物の主要構造体に水を触らせないための努力です。
 3つ目が、高い床です。こうすることによって建物の下の風通しをよくして、それで建物を乾燥状態にする。つまり、昔の江戸の棟梁は何を考えていたかというと、建物を絶えず気乾状態に置くということであります。
 木材は、気乾状態ですと、建物の含水率を15%以下に抑えることができます。そうすると、腐朽菌の繁殖を防ぐことができます。
 先ほど申し上げましたように、私は日本の木造建築の耐久性をずっと調べまして、その結論がこの3点セットであります。
 結局日本は木しかありませんでしたので、いまは木造のことをお話ししましたが、実は、すべての建築材料は水が本当に嫌いです。

何故、防雨が建物長寿命化の鍵なのか

すべての建築材料は水が苦手である。

b建築材料が土ですと水に溶けます。木材は腐ります。鉄は錆びます。コンクリートは水に強いのですが、寒冷地に入りますと凍害を受けます。ですから、北海道の場合は、やはり鉄筋の建物は水からできるだけ離してやるのが重要なポイントであります。

土 … 崩壊 融ける。

木材 … 腐朽 くさる。

鋼材 … 腐食 さびる。

コンクリート … 凍害 割れる。

鉄筋コンクリート … コンクリート : 中性化する。

                 鉄筋 : さびる。

 それから鉄筋コンクリートですと、中性化の問題があります。ほどよい水分状態で中性化が非常に早くなります。カラカラに乾燥してやるか、水に浸けておくとすごくゆっくりですが、ほどほどのところで中性化は早くなります。そういう意味で、水分が関係しています。
 それから、何かの拍子でひび割れたりしますと、もう水が直接中にはいりますので、鉄筋が錆びます。
 そういうことで、少なくとも現在われわれが使う建築材料は、すべて水が苦手です。できれば水にタッチしなければいい、ということであります。
 私は8月上旬に、マリ共和国のジェネというところを訪ねてまいりました。マリ共和国はサハラ砂漠の南にあります。

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 ジェネはモスクが有名で、そこは世界遺産として残されています。これはジェネの町並みの写真です。見てわかりますように、日干し煉瓦でつくられて、その上から泥でコーティングされています。5月から10月にかけては雨季です。そうすると、建物の外側からだんだん溶けてくる、ということです。
 ときどき飛び出しているのはドレンであります。これを見て、「ああ、やはり日干し煉瓦というのは溶けてなくなるんだな」ということを実感しました。ドレンがなければ、屋根に降った雨が直接、壁を流れるからです。
 大学の建築材料の授業では、コンクリートは、例えばいろいろな形ができるとか、燃えないとかと言いますが、これを見て一番感じたのは、「コンクリートの一番の特徴は、水に溶けないということだ」と強く思いました。
 普通の人は、毎年1年に1回この土壁を塗りかえるのですが、お金のない人はそうはいきません。私を案内してくれたガイドの方は地元の人でしたが、その方の屋上に登らせてもらって写真を撮らせてもらったのですけれど、「自分はお金がないので、2年に一遍しかできませんでした」と言っていました。
 土は溶けるということがすごく問題だと、ひしひしと感じました。

スライド41

 北海道ではどうかと言うと、これは私の先輩の長谷川先生からいただいた写真です。冬にベランダに雪がたまります。ベランダは南を向いているので、昼間は溶けてしまいます。当時はベランダ防水をしていませんので、コンクリートの中に入り込みます。そして夜間に凍結、昼間に融解を繰り返して、こんな状態で劣化してくる、という例であります。やはりコンクリートだって水は嫌いです。

スライド42

 これは私の大学で撮影したものです。最近やっと補修してくれましたが、この状態がかなり長く続いておりました。鉄筋が腐食しております。これは主筋ではありませんから、建物がすぐ壊れるというわけではないのですが、怖い状況です。これでも被り厚さをはかりますと、4センチ以上は楽にありました。写真で見ると、施工が悪いように見えるかもしれませんが、多分それは問題ないと思います。それでも表面から水分が入っていって、中の鉄筋を腐食させ、コンクリートを押し出しています。

続く

超サステナブル建築と防水 ⑤

百年・二百年建築、千年建築の「防水」をどうする?
~Dr.田中享ニの「躯体保護と防水」セミナー~

建物の長寿命を議論する際、「長」のとらえ方として、ある時は50年、ある時は100年、200年、また1000年を想定します。

田中享二教授は「100年が目標であれば、現在の技術で可能である」といいます。可能といってもそれは「本気でやれば」可能ということだ。本気でやるとは、具体的にどうすることなの?それが今回のテーマです。

画像の説明
写真は最終講義謝恩会で挨拶する田中享二教授

※田中享二東京工業大学教授が、全国アロンコート・アロンウォール防水工事業協同組合総会(2010年8月27日、品川プリンスホテル)で行った特別講演「超サステナブル建築と防水」の記録を5回に分けてご紹介しています。今回が最終回となります。

超サステナブル建築と防水の条件

d.材料の面から:高耐久性

コンクリート

鉄鋼

木材

高分子材料

 材料の面からの高耐久化は、各々の専門・専門で頑張ってくれています。コンクリートも、一時期すごく耐久性が問題になったことがありました。これはいけないということで、いまは非常に安定的に耐久性のあるコンクリートを供給するようになりました。もちろん、第一線では、もっと耐久性のあるコンクリートを研究し続けており、コンクリートの高耐久化は、重要なテーマとなっています。
 鉄鋼のほうも、耐久化ということを一生懸命やってくれております。普通は塗装で耐久性を確保するのですが、塗装をかけなくても耐久化を図るということを、土木では耐候性鋼板とで実用化しています。鉄橋では、ペンキを塗る費用がものすごくかかるらしくて、材料費はそうでもないかもしれませんが、あの危険なところでの作業から、人件費がばかにならない。何よりも危険作業は避けたい。できれば無塗装でいきたいという強い希望があります。塗装なしで耐久性に優れる鋼材は、鉄鋼分野の人も考えてくれているということです。
 木材だって、それなりに考えてくださっていまして、例えばプラスチックを含浸させるとか、プラスチックと木材のコンポジットをつくるとか、あるいは大断面の集成材をつくるとか、やはり材料の側で40年、50年で壊れないようなものを作っている。
 高分子材料については、きょうお集まりの方のほうが詳しいので、私はあまり余計なことは申し上げませんが、それなりに頑張ってくれています。
 今までの話をまとめますと、100年からそれを超えるくらいのオーダーの高耐久化ということは、いまのわれわれの持っている技術でかなり行けてしまう。あとは、それを本気でやるかどうかということであります。
 本気でやったとしても、先ほど言いましたように、位相差を生じないように何か手を打っておかなければいけない。いままでのように、建物を「これは○○用途です」と固定的に作ってしまいますと、その後どうしようもならなくなる。用途変更もできないし、その空間のクオリティを上げることもできない。だから、建物の用途と性能水準に位相差を生じさせないようにすれば、ハードの技術としてはかなり揃っていると言ってもいいと思います。

1000年を目指す超サステナブル建築

 それでは、さらに1000年を目指したらどうなるか、ということです。こうなると、話はかなり変わります。

スライド45

 1000年はちょっとオーバーですが、数世紀残すためには、どういうことを条件として考えなければならないかというと、ここに示すようなことを考えなければいけないと思います。
 最初は設計面であります。建築では設計がスタート地点ですので、やはりここは頑張ってもらわなければいけないわけです。そうすると、「やはり残したい」と思わせるものを設計してもらいたい。「もういいや」というものは、設計してもらいたくない。だから、設計者もちょっと頑張って、「絶対これは歴史的建造物になるぞ」と思われるくらいの意気込みで設計をしていただきたい、というのが一番目であります。
 具体的に言うと、数世紀というと文化のレベルですから、宗教建築とか特定の用途は別として、普通の建物では、文化的に価値のあるものを設計するようにしないと、超サステナブルにはならない、ということであります。
 ですから、残念ながら文化的価値がちょっと低いかなと思った場合には、用途変更に耐え得るものを作ってもらいたい、ということです。それには、設計の面で言いますと、先ほど言ったSIというのも一つのやり方ですが、やはり空間にゆとりをつくっておかないと、これもちょっと難しいかなと思います。
 ですから、経済設計ということで階高を低くしたりするのはよくない。やはりゆったりと作ってあれば、あとはいろいろなことに使える、ということであります。
 もう一つは、設計といったら少しはずれるかも知れませんが、設計面で火事に耐えることもあります。それには隣棟間隔をきちっととるような、設計上の配慮も必要に思います。
 2番目の構造で言いますと、地震、雷、火事、親父ですから、まず地震に耐え得る建物にすることです。大地震は再現期間が長い。そうすると超サステナブル建築には、高レベルの耐震技術が不可欠な条件であります。
 これに関しましては、阪神淡路の地震以来、耐震技術は、いま急速な進歩を見せているところであります。私も、同僚が構造の先生ですので実験室によく行きますが、いつも新しい耐震のデバイス(耐震性を高めるための要素で、耐震壁、ブレース、免震ゴム装置等を指す)の実験をやられていますので、この辺はかなり心強い状態になっています。
 ただ、デバイスの中に入っている材料が高分子系材料ですので、そこのところの耐久性が個人的にはちょっと心配ですが。いずれにしても、いま耐震の技術はすごく進んでいます。
 3番目が構法面であります。これは先ほど言いましたように、不用意に水を接触させないということです。接触させる場合は、触らせる部分と触らせない部分のメリハリをつけていただきたい。そうすると、ここで要求されるのが、高度の防水・雨仕舞いの技術であります。
 防水というと、何でもかんでも水遮断ということですが、そうではないです。建築で非常に重要なのは、防水するところとしないところを、きちっとメリハリをつけることです。そういう意味での高度化であります。
 4番目は材料面です。これは、すべてそれなりに高耐久化ということで進んでいますので、それはお任せすればいいかなと思います。
 最後は維持管理面です。維持管理が途切れた瞬間に、それでもう建物は劣化が始まります。ですから、やはり管理者、つまり建物をいつもお守りする人が絶対に必要だ、と思います。
 建設時点で、あるいは設計時点でもいいと思いますが、つくるスタートのときに、どういうふうに維持管理するかをきちっと考えておく必要があると思います。いまのリフォームの技術は、いままでのものをどうするかであります。だから、以前にちゃんと考えておけば、こんなに苦労しなかったのに、ということが結構あります。
 それに対する言い訳として、「技術が進歩するから、進歩した技術を使う方が良い」という、やや能天気な考え方もありますが、それは明らかに間違っていると思います。やはり設計者が最初の設計の段階で、どういうふうに直すかということのスペックを書かなければ、物事は進みません。補修の時に技術が進歩していて、もっといい材料、もっといい工法があれば、それに越したことはないと思います。
いまどんな図面を見ても、「何年たったら、ここの部材をこういうふうに取りかえる」ということは一切書かれておりません。しかも、VE提案ということで、現場でまた違うものに切りかわったりすることが日常茶飯事に起きています。これからの建築の設計の姿勢としては、明らかに間違っていると思います。これからは、新築のときに、100年後の姿、1000年後の姿をきちっとイメージして、設計者が設計しなければならない時代になると思いますし、しなければならないと思います。維持管理をどうするかということを設計の段階で組み込んでおくと、その後、楽になることがたくさんあるからです。

現時点では、全ての技術がそろっていない。

今後の技術開発が期待される。

 そろそろ最後ですので、まとめに入ります。いまの時点で言いますと、寿命100年は技術としてきちっと担保できると思います。ただ、100年から先になってくると、若干ファジーなところがあります。現時点で、すべての技術が揃っているわけではないということです。この技術の中には、建築全体として考えなければならないことが沢山あります。
 そういうものに対して、そろそろ技術の開発をやり始めていってもいいのではないか、というのが、私の本日の主張です。
この背後にあるのが、先ほど言いましたように、地球環境問題が切迫状態です。超サステナブル建築を環境対応技術としてとらえてゆかねばならないということです。 

超サステナブル建築を作るために

防水の側からどうするか

 それでは、これを防水の側からどうするかということですが、これに対して具体的な答えを持っているわけではないのですが、2つのことを考えたらどうかと思っています。

1. 耐久性のある材料とする。

・材料そのものを高耐久化する。

・劣化代(れっかしろ)を用意する。

2. 交換や補修技術を新築時に組み入れる。

 ひとつ目は、現状の防水材料は、率直に申し上げて耐久性が短過ぎると思います。どうして短くなったかというと、これも理由がはっきりしています。
 日本が防水10年保証になった理由を、ある方が教えてくれました。戦後、日本が復興のとき、見よう見まねで防水材料をつくって売ろうとしたそうであります。
 当時は外国の有名なメーカーがいろいろありました。「そういうところの製品ならいいけれど、日本の製品はよくない。長もちしないから嫌だ」といろいろなところで言われたそうであります。
 日本は技術がありませんでしたから、仕方がないので、「そのかわり10年は保証します。10年間の間に何かあったら、それは無償で修繕しますから」といって販売したのだそうです。10年保障は、そういうことで始まったそうです。
 ですから、とにかく品質はほどほどでもよく、とにかく製品を作って、10年保障で商売をする。それが当時の我が国の防水の水準であったということです。
 結局その10年保証だけが独り歩きをし、結果として逆に10年保証さえできればいい、ということになってしまったわけであります。
 簡単にいうと営業トークとしての「防水は10年」ということで始まったと教えられたわけです。
 きょうは化学のエンジニアの方が多いと思いますが、今の技術力をもってすれば、高耐久化は当然できるわけであります。だから、これはぜひやっていただきたいと思います。

最終講義①

田中享二先生最終講義始まります。
お待たせしました。防水研究の第一人者、東京工業大学名誉教授 田中享二先生最終講義が始まります。
本当にたくさんの人たちから、催促されました。
最終講義は2011年3月9日(水)東京工業大学すずかけ台キャンパス すずかけホールで。15:30 受付開始、16:30 最終講義、18:00 謝恩会。

開演1時間まえから、たくさんの人が集まり。ホールは満席。謝恩会も大盛況。教室に会場を移しての2次会まで沢山の人でした。

画像の説明

1 北大入学から東工大赴任まで

お忙しい中、こんなに多くの方に来ていただけるとは思ってもみませんでした。本当にありがとうございます。まず私がどうして建築の道に進んだかということから、話を始めたいと思います。

私は札幌で生まれて、札幌で育ちました。大学がそばにありましたから、北大に行きました。北大では、最初から専攻が決まっているわけではなく、まず理系希望者を理類という枠で、ざっくり取ります。ですから一年生の間はまだ専攻が決まっていません。当然自分が何をしたいのかが良くわかっていませんでしたので、うろうろしておりました。たまたま夏休みに、北海道開発庁という国交省の弟分のような組織でアルバイトの募集があり、これに応募しました。配属されたのが土木試験場でした。私は特殊土壌研究室というところで、土質試験を担当させられました。その時の室長さんは京都大学の土木を卒業された方でしたが、室長さんから「田中君、将来はどうするんだ?」と尋ねられました。「まだ決めていません」と答えますと、「土木は面白いぞ。君はあまり細かいことにこだわらない性格のようだから、土木に向いているのではないか」といわれました。そのとき初めて土木という分野のあることを知りました。

 二年生になりました。また北海道開発庁でアルバイトをしました。今度はダムの事業所でした。場所は雨竜という旭川から西の方の小さな町です。そこでは三つのダムの管理をしていました。これらのダムはコンクリートダムではなく、アースダムという農業用水を取るためのものです。そしてそこでの生活がいたく気に入りました。昼間はあまり忙しいこともなく、夕方はきっちり5時に終わり、夜は飲み会でした。寮に泊り込みでしたから、職住接近で遅刻することもなく、非常に楽しい生活を送らせていただきました。それで、「俺は土木に行くぞ」と決めました(会場笑)。

 いよいよ夏休みが終わり、いよいよ学科を決める段になりました。お袋に「土木に行く」と言いましたら、「それも良いけれども・・・」と話を切り出すのです。実は私の親類は大体が農家で、ただ一人を除いて大学に行ったひとはいません。そのひとりが北大を1番で卒業し当時の国鉄に入り、最後は本州四国連絡橋公団の理事になった叔父です。お袋は「お前は、私の子で勉強もあまり好きでないし、比較されるとみっともない。親類中の笑いものになるからそれだけはやめてくれ」と云うのです。わたしもそんなに強い意志があって、学科を決めたわけでもありませんので、似た学科はないかと次を探しました。そうすると建築が私のイメージしているものに近いことがわかりました。それで建築を選びました。

 そこまでは良かったのですが、建築学科に入りましたら、最近の建築志望の学生は「建築家になりたい」とか「デザイナーになりたい」、「構造設計者になりたい」という風に、しっかりとした目標をもっている人が多いのですが、当時の北大はそこまでではなかったものの、それでもコルビジェやミースがどうだとか、丹下、磯崎はどうだとか、さすがに丹下さんは知っていましたが、いろいろな建築家の名前がとびかっていて、もしかしたら選択を間違ったかなと、大変心配しました。それでも辛抱していますと、建築材料という若干高尚さには欠けるところもありますが(会場笑)、私の性格に合いそうな分野のあることも分かりましたので、建築の分野で生きてゆこうとやっと思ったわけです。そういうことで、りっぱな志をもって建築に入ったわけではありませんので、私の今日の話もそんな程度だと思って聞いていただければと思います。

 そのような理由で四年生の時、卒研生として「材料講座」に入れていただきました。北大材料講座の得意は、コンクリートの凍害です。鎌田英治先生というすばらしい先輩がいらっしゃいました。教授をされていた途中で亡くなられましたが、当時は博士課程の学生で、家が近かったせいもあり、私をとても可愛がってくださいました。ところがやる実験はコンクリートですので、実験室から泥のついた長靴でそのまま研究室に上がってきますから、すごく汚いのです。こんなに汚い作業を卒業研究に選ぶのはどうかと躊躇していました。たまたま小池先生という防水をやられている先生がいて、少しは小綺麗にみえたものですから(会場笑)、防水の研究室を選びました。

 そして4年生の卒業研究を終え、修士課程に入りました。修士二年になり、これから修士論文研究をがんばろうと思った矢先に、小池先生は東工大に転出してしまいました。そのため私は指導教官なしの、ひとりで修士論文を書く羽目に陥りました。小池先生も、さすがにそれではかわいそうと思ったらしく、就職先として、あるゼネコンの研究所に話をつけてくださいました。私も良かったと思い、そこの会社に行くつもりでおりました。しばらくして、小池先生から突然「助手のポストがある。手元が必要だから来い」との連絡が来ました。私は、基本的に勉強が好きなほうではありませんでしたし、人生設計で大学の先生になるということは一度も考えたことはありませんでしたので、これは困ったことになったと思いました。またお袋に相談するとろくなことにならないので(会場笑)、今度は弟に相談しました。私の実家の職業は靴の販売業です。弟は「親父の商売は俺が引き受けるから、兄貴は好きなことをやれよ」と言ってくれました。それで東工大に赴任することができたわけです。

 東工大に来てみて、結論から言うとすごく幸せでした。東工大は他所から来た人に対しても、非常に温かいというか分け隔てないというか、仕事をのびのびとやらせてくれました。これには本当に感謝しています。小池先生の上の先生は後藤一雄先生で、才能豊かですが何かを押し付けるということのない先生でしたので、自由に研究ができました。ということで防水にのめりこみ、気が付いたら40年立っていたというわけです。

 さて、本日は防水の二・三の話題ということで、厳選したつもりでしたが、準備してみたら4つになりました。お聞きになられる方は大変かと思いますが、お付き合いください。研究というのは調査や実験をして論文を書くのが主ですが、実は研究を通して学ぶことも多かったです。今日は研究と合わせてそのこともお話できたらと思っています。

>>続く

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最終講義 ②

防水研究の第一人者。
東京工業大学田中享二名誉教授の最終講義。第2回目です。
最終講義「防水に関わる2・3の話題と研究から学んだこと」から

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2 40年の研究を通して得た結論は「防水の本当の役割は、建物本体を長持ちさせること」

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 まずこの写真をみてください。私が昨年(2010年)の夏、マリ共和国に屋根の調査に行き撮影したものです。昨今何かと話題となっているリビヤの南側にサハラ砂漠という広大な砂漠があります。その南端にこの国はあります。屋根はフラットルーフばかりです。首都はバマコで、ここには若干鉄筋コンクリート建物はありますが、首都を離れますと、日干しレンガと泥で作られたこういう家ばかりになります。健全な建物は、真ん中に見えますように、パラペットがあってちゃんとしているのですけれども、手入れが悪かったりすると、手前の家のようになるわけです。家がこんな風になってしますと、日本ではもう住まないのですが、マリのひとはこんなになっても頑張って住んでいます。
 かなり崩れていますが、これをそのまま放っておきますと、本当に壊れてしまいます。砂漠の気候で、なんでこんな風になるかと言いますと、実は雨です。私が調査に行った8月は雨季でした。ドライバーとガイドさんと3人でマリを駆けずり回ったのですが、一日に30分程度ですが、道路がどこかわからなくなるくらいの強い雨が降ります。ちなみに地元のひとは「スコールとは言わないのだ」と言っていました。何と言うのかと聞きましたら、強い雨とだけ言うのだそうです。

画像の説明

 そうすると、建物が溶けてしまう。溶けないように何とかしなくてはならないことになります。これはまともな建物の写真ですが、そのための仕組みがパラペットです。パラペットに横引きのドレンをつけます。さらに樋を付けて長くして、雨を建物本体から十分に離れたところに落とします。このことにより、雨を建物に触らせないようにするのが、マリの建物の作り方であるということが分かりました。

画像の説明

 ここで建築材料、特に構造材料について解説しますと、一般的に水が苦手です。土はこのように溶けてしまいますし、木材は腐ります。鉄は錆びます。コンクリートでも内部に水が入りますと凍害を起こします。鉄筋コンクリートのコンクリートも程よい水分があると中性化が進みます。そして次に鉄筋が錆びます。このように構造材料や部材は基本的に水が苦手です。

画像の説明

 この写真は、私の好きな建物、閑谷学校です。岡山市から車で30分くらいの閑谷というところに、江戸時代の藩校があります。左側にその講堂が写っています。私が20年ほど前に初めて訪れた時はまだ有名ではなく、訪れる人も少なく管理の教育委員会の方が直接案内してくださいました。今はすっかり有名になりましたので、観光ガイド等でご覧になることも多いと思います。

画像の説明

 私がここを訪ねたのには理由がありました。これが三層の屋根構造を持っているということを知ったからです。一番上が、備前の赤瓦です。備前焼は瓦に使うものではありませんで、本当はいろいろな容器に使われます。我々に近いところで言いますと、小料理屋さんのぐい飲みとしてよく見かけます。。備前焼は上薬をかけませんで、炎だけで模様をつけますので、すぐ分かります。そしてその下に流し板葺きという長い板を入れ、その下に土居葺(どいぶき)あるいは柾葺(まさぶき)と呼ばれる、薄い板材で葺いた屋根があります。全体で三層の屋根構造にしてあります。つまり、完全に雨水を止めようと思ったら、三重にしなければならないというわけです。先日、大改修中の出雲大社の現場を見学する機会がありました。ここもやはり同じ屋根構造でした。これを見て「本物の建物、屋根」を実感しましたし、「江戸の棟梁はそこまでやるのか」と驚嘆もしました。

画像の説明

 三重構造にした理由ですが、木を腐らせないための工夫だと思います。我が国の伝統建築を特徴付けるものは、伝統木造建築の三点セット、これは私が勝手にそう呼んでいるのであまり信用しない方がよいのですが(会場笑)、一つ目は強い勾配の屋根、二つ目は深い軒の出、三つ目は高床。この三つを書き込みますと、絵の下手な方でも、何となく日本の伝統的な建物の雰囲気を出すことができます。

画像の説明

 これらのことが、閑谷学校に行くとよくわかるのです。屋根は急勾配の備前焼の赤瓦。それから深い軒の出。これらは雨が降った時、柱や梁といった主要部材に、直接雨が当たるのを少なくするためです。それと高い床ですが、これは足元を風通し良くして、木材を気乾状態に保つための工夫です。もちろん室内に雨が入ったら、快適な生活が阻害されますので、屋根には防水の役割はあります。しかし本当の役割は、建物を何とか長持ちさせようとする点にあります。江戸の棟梁も頑張りましたし、マリの職人さんも頑張っています。私が40年の研究を通して得た結論は「防水の本当の役割は、建物本体を長持ちさせる」であります。
 そして屋根が建物を守るために頑張らせるためには、防水材料も頑張らなければならないことになります。防水が10年くらいの寿命でよいというのは、やはりおかしく感じます。卒論で研究を始めた時分には分かりませんでしたけれども、今はそのように思っています。

>>つづく

最終講義③

防水研究の第一人者。
東京工業大学田中享二名誉教授の最終講義。第3回。
コンクリートの防水上の弱点について。
最高に理論的。かつ、思いっきり分かりやすいお話。

3 学んだこと その2

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 次の話題はコンクリートの細孔構造の研究です。防水の研究をしている人間が、何故コンクリートの研究にまで踏み込んだかといいますと、理由があります。防水材は一般に仕上げ材と言われますが、必ず相手となる下地があります。多くの場合はコンクリートです。そして防水層の性能は防水材料だけをいくら研究しても本当のことは分かりません。防水材とコンクリートがワンセットで、初めて性能を発揮するからです。

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 防水に関して、コンクリートの何が関係するかというと、透水性と透気性です。そしてそれは細孔構造と関係しています。この研究は私ひとりでは手に負えませんので、当時の大学院生、現在は北海道大学で准教授をやられていますが、胡桃澤清文さんと一緒に行ったものです。一般に細孔構造はポロシメータやその他いろいろな装置で調べるのですが、これらでは間接的な情報しか得ることができません。私は細孔構造を直接目で見なければ、
何となくもわっと細孔がありますよ、というのでは納得できなかったので、直接細孔構造を見る技術について研究しました。
 そこで開発したのが、ガリウム圧入法という測定の道具とテクニックです。基本的なコンセプトはポロシメータとちょっと似ているのですが、コンクリートの細孔に、液体状態にした金属を押し込み、細孔の中で固化させます。その後で断面を切り出して金属部分を元素分析装置で観察すれば、細孔の形がわかるだろう。こういうコンセプトです。

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 私のいる応用セラミックス研究所にはマシンショップが整備されていまして、そこに石井元さんという非常に能力の高い技術者の方がいらっしゃいまして、その方のところに相談に行きました。私はその時、低融点のハンダには80℃位で溶けるのがありますから、それを使うという考えを持って行きました。すると石井さんはもう少し低融点の金属があるはずだから、それを探してみたらとアドバイスをくれました。
 幸い研究室に実験の材料や機材の購入をお願いしている、村野さんという助手の頃からお付き合いしている方がいらっしゃいましたので、そういう金属はあるだろうかと相談しました。数日後、村野さんはいいのがあったよと言って、ガリウムを持ってきてくれました。ガリウムの変態変点は29.8℃です。これより上にしますと液体、それより低温にしますと固体です。この性質を使って、温度を高くして液体状態のガリウムを細孔内に押し込み、温度を下げて細孔内でそれを固化させるという技術の骨子が出来上がりました。その具体的方法を胡桃澤さんと一緒に研究しました。

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 このスライドは、彼の博士論文から拝借してきたものですけれども、このようなセメントペーストの試験体を準備しました。まずこれにガリウムを外側にかぶせるのです。それにはまず、試験体を容器に入れて、中を真空にします。そばにガリウムを置いておきまして、50℃くらいになるまで暖めます。そうするとガリウムが溶けて試験体を包み込みます。次にそれを冷やします。そうするとガリウムで外側が包み込まれた試験体を取り出すことが出来ます。

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 次の作業が非常に重要です。私はこの研究所にいて本当に良かったと思うのですが、研究所には超高圧の技術が受け継がれていました。現在もつながっています。斎藤進六先生という研究所長そして学長をなさった先生ですが、ラバープレスという方法を開発され、その技術が伝わっておりました。それは紛体をゴム袋に入れ、加圧して締め固めるという方法です。ここでもその考え方を使わせていただきました。

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先ほどの試験体をゴム袋に入れまして、今度はグリセリンを満たしている容器に入れ、再度熱を加えてガリウムを溶かします。そして超高圧をかけます。そうすると試験体の細孔にガリウムが入ってゆく訳です。これが試験体作成中の写真です。ガリウムが細孔内に充填された段階で冷やします。そして表面を研磨します。そしてその表面の元素分析をする訳です。これもやはり研究所にいてよかったと思うことなのですが、無機材料がご専門の安田榮一先生がいらっしゃり、EPMAという元素の面分析のできる機械を購入され、オープンにしてくださいました。今でこそポピュラーな機器ですが、当時は持っている研究室は数えるほどでした。

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これを使って試験体の面分析を行いました。表面から2ミクロンずつ研磨し、全体で数百枚のガリウム面分布画像を撮って、それらをコンピュター上で合成するわけです。すると立体画像を得ることができます。この図では、赤が1ミクロン以上の空隙を示します。青のところは空隙の全くないところです。残念ながら、現在のEPMA装置の分解能は1ミクロンですので、これが限界です。ですから黄緑色のところは、現状では完全に識別できない、1ミクロン以下の細孔の領域であることを意味します。それでもこの手法で、大きい細孔がどのように走っているかを、手に取るようにわかる訳です。

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 この技術を使って、実際に細孔構造を調べてみました。これは建築で「コールドジョイント」と呼ばれる、コンクリート工事としてはやや失敗した部分です。建物のコンクリートを打つ時、一気に3mとか4mとかという高いものは均一に充填することが難しいので、大体は1.5mか2m位ずつに分けて打ち込みます。そうすると最初に打設したコンクリートは半固まりですので、例えば次の生コン車の到着が遅れたような場合には、半固まりのコンクリートの上に、次の生コンが乗ります。そうすると接合部のうまくゆかないことがあります。この上手くゆかなかった部分を、一般にコールドジョイントと呼びます。
これはコールドジョイントの例ですが、この研究にガリウム圧入法の技術を適用しました。この図の見方なのですが、コンクリートは大きく2層で打たれています。下半分が先に打たれたコンクリート、上半分が後から打たれたコンクリートに相当する部分です。生コン車の到着時間を30分から12時間まで変えて、作った試験体です。例えば4時間、6時間の図を見てもらえば良く分かるのですが、赤い筋が横に走っています。ということは、ここが完全に1ミクロン以上の空隙を意味していますから、防水上の非常な弱点になっているということが分かります。

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 私がこの研究をやってみて、現行の建築学会の仕様書類は良くできているなと改めて思いました。JASS5コンクリート工事では、この打継時間間隔の規定があります。気温によって違いますけれども、2時間から2.5時間で打ち継げと書いてあります。これを見ていただくと分かりますように、この規定時間内ですと打継ラインが見えていません。ほぼ一体になっています。だからこういう点からも良くできているなと感じたわけです。

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 もうひとつの適用例は「セパレータ周り」です。建築以外の方は、職人さんが壁の厚さをよくあんなに正確に作るなと思うかもしれませんが、これにはタネも仕掛けもありまして、セパレータと呼ばれる、ねじの切られた鉄の横棒が型枠に取り付けられていて、これで型枠の内法幅を微調整しているのです。ここのキャンパスは打ち放しの建物が多いので、丸いポツポツを見ると思います。そこがセパレータの隠されているところです。
このセパレータ周りが防水上の脆弱部となります。この写真は雨の強い日に、私の実験室の壁を写したものですが、このようにセパレータ周りから雨がしみ込んできています。この図もガリウム圧入法でみたものです。丸いところがセパレータの鉄棒です。高さ方向3か所にセパレータを取り付けまして、1.5mの高さまでコンクリートを打ち込みました。上の図を見てもらうとよくわかるのですが、下側に半月状の赤い部分が見られます。ここは水の走りやすいことを意味しています。ですから雨が漏れてくるわけです。実験室ですので特に困るひともいませんので放ってありますが、マンションでしたら大クレームになると思います。

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 セパレータ周りはいつも水みちがあるというわけではなく、足元のセパレータでは上からのコンクリートの圧力がかかりますから、まったく問題はありません。危ないのは上の方のセパレータであるということも分かったわけです。
この研究の成果は、ゼネコンの研修資料に引用される等、いろいろなところで使われました。たまたまこの研究をしていた頃、研究室にコンクリートが専門のデンマーク工科大学のヤンセン教授が、客員教授として来られていましたが、この研究に大変興味をもち、ぜひ共同研究をしようと申し込まれました。実際この技術にはいろいろ反響があって、人様のお役に立てたかなと思っています。

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 建築のひとはどちらかというと電気が苦手なひとが多いです。私もあまり好きではありません。建築のひとは見えないと納得しない人種です。触ったら突然ビリビリ来るのは本当に苦手です。やはり「見える化」は相手に理解してもらう最高の手段であることを、この研究を通して学びました。

つづく

最終講義④

防水研究の第一人者。
東京工業大学田中享二名誉教授の最終講義。第4回。
日本の防水研究が世界のトップレベルにあるという事の事例その1.とその2.。2つの「世界初」が続きます。

4 学んだこと その3 世界初の強風時の防水層の挙動を解明

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 次は風の話です。私の専門は防水で、しかも大学では建築材料学の教員ですので、風とは本来無関係の人間です。ただ防水層にも風による被害が多数出ています。これは何とかしなければならないという状況になりました。これも東工大にいて大変ありがたかったのですが、私の大学院での所属は環境理工学創造専攻というところですが、幸いにも建築の風問題の超専門家、田村哲郎先生がいらっしゃって協力をいただけることになりました。また研究チームを建築学会防水工事運営委員会内に作りましたが、加藤信男さんという東急建設技術研究所の風研究部門のリーダーの方も加わってくれました。風の専門家が二人もいてくれたら、怖いものなしです。安心して研究を進めることができました。
 研究室の側も私ひとりではありません。宮内博之さんとは二人三脚でした。さらに研究初期の頃は、今日もスロバキアから来てくれていますが、バルトコ・ミハエルさん、その後は市川裕一さんが博士課程の学生として参画してくれました。もちろん学会委員会を通して数えられないほどの方々に協力していただきました。このような体制で防水グループの人間が、大胆にも風の問題に取り組んだわけです。

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 防水層の機械的固定工法というのは、このスライドのように丸いディスクを下地にファスナーで固定しておき、その上から防水層を張り込むという、ちょっと特殊な工法です。なぜこのような工法が最近伸びているかといいますと、例えば防水層が古くなりますと、これを取り換える必要が出てきます。これが普通の工法ですと、古い防水層を撤去しなければなりません。そうすると廃材が出ます。手間もかかります。いろいろ大変なことが多い。それだったら古い防水層も生かして、さらにその上に新しい防水層を施工すれば、二重の防水層にもなりますから、より安全になります。さらにこの工法では新しい防水層をファスナーで止め付けるだけですから、下地の影響も受けにくいですし、施工も楽です。このようなこともあり、世界的にこういう工法が広まっています。

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 そこまでは良いのですが、この工法では防水層を所々でしか下地に固定しませんから、風が吹いても大丈夫かということが、素人でも気になるところです。案の定、2004年の台風時に、いくつかの機械的固定工法防水層に被害が出ました。これがその写真です。固定ディスクのところで、防水層が上に吸い上げられ、破れています。もちろん機械的固定工法採用に当たっては、風に対しても風指針等を参照して、きちっと設計されています。ただ設計では鉛直上向きの力しか考えられていません。世界中すべてそうです。しかし写真をみて分かりますように、横に引っ張られた形跡があります。もしかしたら横の方に引っ張られているかも知れないぞということが想像されたわけです。

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 それでは固定部にはどうような力が作用するか調べようということになりました。そのため東急建設技術所の風洞をお借りし、乱暴にも実スケールの試験体を入れまして、防水層の挙動観測を行いました。風の専門家からは風洞のサイズに起因する閉塞効果という問題があり、こういう大きい試験体を用いるのは、きちっとした実験ではないぞと言われましたけれど、何せ防水屋ですので現物の方が分かりやすい、ということで風洞の中にいきなり現物を持ち込んでやったわけです(会場笑)。そうすると、やはり横力がありそうだということが分かりました。そこで、やはり本物の建物で調べようということになり、宮古島に実験棟を建てました。

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 宮古島は台風銀座です。必ず台風が直撃する。それとたまたまですが、宮古島には日本ウェザリングセンターという屋外暴露試験場があります。我々もよくここを利用させていただくのですが、敷地が広くまだ余裕のあることを知っていましたから、お願いして建物を作らせていただきました。建設には250万円かかり、その年の研究室のお財布はからっぽになってしまいましたが、どうしてもやってみたかったものですから、がんばって作りました。

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これがその写真です。こういう真四角な建物です。平面は6m× 6m、高さ3mのお豆腐を切ったような形です。このような味もそっけもないような形にしたのは理由があります。建築で通常行う風洞実験では、1/100とか1/500とかいった縮小模型を使います。そうすると実際の建物の細かいところを再現するのは難しいので、すっきりした形にします。我々は逆でありまして、世の中に模型での風洞実験はたくさんありますので、風洞試験の試験体を拡大した建物を作ったわけです。普通とは全く反対のルールで作ったために、このような大型のお豆腐となってしまいました。この屋上に防水層を施工しました。先ほども説明しましたように、固定部には鉛直上向きの力だけでなく、横への力のあることも分かってきましたので、6分力計という横の力も測定できるロードセルを仕込みました。

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 このような準備が整い、後は台風を待つだけになり、ひたすら台風の襲来を待ちました。しばらくは台風が来なくてイライラしましたが、2009年の夏に好都合の台風が来てくれました。その時防水層がどのような状態であったかを、ビデオで見てもらいたいと思います。防水層の震えているのが見えると思います。バリバリという音がしていますが雑音ではありません。雨がマイクに当たっている音です。そして台風の時屋上に上がりますと、普段はまっ平らですけれどもこのように上下しているわけです。風速15m/秒でこの位ですから、猛烈な台風ではもっと激しい状態になると思います。実際のこのような状態を見たひとはそうたくさんいないと思います。特にこのようにきちっとビデオ撮影したのは初めてだと思います。

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 それではどのようなデータが取れたかです。従前より分かっていましたが、まず上方への吸い上げ力です。台風ですので脈動しています。それと案の定、横方向にもすごい力が観測されました。

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 どうしてこのような力が生じるかですが、冷静に考えてみれば当たり前でありまして、防水屋根というのは飛行機の翼のようなものです。風が吹くと上に持ち上げられます。そして屋根面では縁の方に強い吸い上げ力が作用しており、真ん中の方が低くなっています。これは風の専門家が克明に研究してくださっています。そうすると防水層のように変形しやすい材料では、ふくれる高さが軒先で高く、奥に入ったら低くなります。両者のふくれ高さが違いますので、その分だけ横力が出るわけです。ということで本当に横力の生じていることがわかりました。

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 それではこれがどれくらいの大きさかということです。これは防水層の耐風設計に不可欠の情報です。これを台風が始まってから終わるまでの全データについて調べました。これには加藤さんや研究室の学生さんたちが獅子奮迅の努力をしてくれました。この図は縦軸がロードセルの出力、すなわち固定部に作用する力です。横軸は速度圧がとられています。これは風が強くなると大きくなります。そして白丸が鉛直力で、黒丸が横力です。驚いたことに、鉛直力と横力は同程度であることが分かりました。これは10分間の平均で整理したものですけれども、これを最大値で整理してみると、何と横力の方が大きい。今まで、我々は吸い上げ力だけに対して設計していましたけれども、実は横力に対しても設計しなければならないということが分かったわけです。現在は横力に対する設計は全くしていませんから、先ほどの被害写真のように、ちゃんと設計したつもりだったけれども、損傷を受けたということも納得がゆきます。まだまだ知らないことはたくさんあるということが、明らかになったわけです。
 この研究を通しても、大切なことを学ぶことができました。我々は防水が専門ですので、風の専門家の方が指針や計算規準を作ってくれますと、それらにすっかり頼って設計するわけです。しかしちょっと横力があるのではないかと思って、実際にやってみましたら、むしろ横力の方が大きいということが分かったわけです。ですから、「気になったらやってみる」ということを教訓として学びました。
 この研究はカナダとアメリカのグループが以前から研究を進めていました。有名なハリケーンがあるからです。特にカナダ建築研究所のバスカラングループが先行していまして、大きな防水層の耐風試験装置を作って実験をしています。現在のカナダ規格にはその成果が反映されています。ただ鉛直力しか考えられていませんから、横力が入っておりません。昨年の国際会議で、宮内さん、加藤さんに横力の存在を発表してもらいました。これで我々のチームはバスカラングループを完全に追い越しましたので、後はもう水をあけるだけだと思っていたのですけれども、逆にバスカラングループから共同研究を持ち出されてしまいました。敵もさるものです。私もこれ以上無理に競争する必要もないし、一緒にやれば楽しいこともあるかなと思いましたので、共同で研究を進めることにしました。先月も宮内さんが日本から6分力計をもって、バスカラングループの実験の応援に行ってきてくれました。今、この研究は非常に活性化しているところです。

つづく

最終講義⑤

防水研究の第一人者。
東京工業大学田中享二名誉教授の最終講義。第5回。
建築材料の研究者が植物の基礎研究を始めた。近年屋上緑化の需要が増えつつあったところに、今回の大震災と夏の電力逼迫。クールルーフのへの期待は一気にヒートアップ。ところで屋上緑化防水の要は防水層の耐根性だ。「地上の花はきれいでも、根はとても荷暴力的」だと、田中享二東工大名誉教授はいう。どの程度暴力的であるかを、調べねばならなのだが、意外なことに、従来の植物の研究ではそんなデータがなかったそうだ。ここでも先生は、世界初の研究を始めた。植物の根がどの程度の力で防水層を攻撃するか。測定装置の製作から始まり、驚くべき結果が判明した。
何と、木の根が肥大する力は車2台分の重さにも相当するという。

5 学んだこと その4 恐るべし根の力。これもまた世界初の研究

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 厳しい話題が続きましたが、研究室ではもう少しのどやかな研究もしておりますので、その話を最後にして、講義を終わりたいと思います。最近は地球環境問題や緑の癒しの効果などから屋上緑化が急速に進んでいますが、それらを背景にしたものです。
今度は植物相手の研究です。風で散々苦労したので、植物でも苦労するのはいやだなとも思いましたけれども、結局取り組みました。理由は、我々の専攻に土壌学がご専門の渡辺真紀子先生という方がいらっしゃって、ある会議の終わりに、専門外なのですが植物の根の研究をしたいのだけれども、修士論文の時など審査員になっていただけますかと尋ねたところ、即座に「面白いんじゃない」と後押しをしてくれたからです。うまくゆくかどうか半信半疑でしたが、土壌学の先生がそうおっしゃるのだから「いけるか」と勝手に思い、研究に着手しました。もちろんこの研究も私ひとりではありませんで、表さんや明石さん、そして石原さんら女性軍の力で研究を進めました。
地上の花はきれいなだけで防水とは無関係です。しかし地下に伸びている根の部分は、防水層に対して非常に暴力的です。どのくらい暴力的かと言いますと、この写真はパンチングメタルで作った容器の内側に防水層を敷き込み、その後シバを植えて様子をみたものですが、数ヶ月で地下茎が防水材をぷつっと破っています。このくらい暴力的です。これは危ないということになります。
ではそれがどのくらいの力なのかということが問題になります。防水層の耐根設計に必要だからです。当然こういう研究はたくさんあると思いまして、手分けしていろいろな方に聞いたり、図書館で文献調査をしました。どれくらい太るかという研究はたくさんありましたが、こういう突き破るということに関する研究は皆無でした。「これはもう仕方がない。自分でやろう」と腹をくくりました。
ただ相手は生き物です。これをどう手なずけるかが問題です。これもその後建築学会の防水工事運営委員会内に研究チームを作りましたが、そのメンバーに竹中工務店の三輪さや内山緑地建設の立山さんといった、そうそうたる植物の専門家も参画してくださっていて、「植物の根は水と栄養を求めて伸びる」といことを教えてくれました。我々が夜な夜なアルコールを求めて徘徊するのと同じです(会場笑)。その習性を使うことにしました。測定はこの図のようです。まず左側にクマザサを植えて根(ここでは地下茎)を繁茂させます。右側には力を測定する装置の容器に、水で湿らせた土を入れます。真ん中には孔の開けられたじゃま板を置いておきます。そうすると地下茎は水のある方に伸びてきます。地下茎ですので、伸びると同時に太りもします。小さな孔ですので、途中でひっかかります。それでも構わず伸びようとしますので、力を測ることができるわけです。

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この測定でも面白いことがわかりました。もちろんじゃま板を押す力は上昇するのですが、同時に脈動していたのです。一日一サイクルで上下していたのです。どうして脈動するのかがしばらく謎でありました。これは石原さんが樹液の流速を測定する研究をやってくれて、謎が解けました。植物は根から水を吸って、幹を通して葉にもって行きます。昼間は葉の気孔を開いて水分を吐き出します。そのため樹液流速は早くなります。その代り圧力は上がりません。ところが夜は気孔を閉じます。根からはかまわず水を供給しようとしますので、圧力は高まります。その結果、押す力が昼夜間で脈動することが理解できました。

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そして問題の押す力ですが、わずか数週間で最大9.8N、ざっと1kgf位の力が観測されました。私の予測ではそんな大きな力はでないだろうと、たかをくくって10Nのロードセルしか発注していなかったので、測定は限界に到達しギブアップしました。
これがどのくらいのものであるかを、具体的なイメージで説明しますと、地下茎の先端は爪楊枝の先に似ています。この先端を水で濡らして少し柔らかくします。それを手のひらに立てます、そしてその上に1リットルのペットボトルを載せます。このような状態です。実際にやってみるとわかりますが、結構痛いです。このような力ですので、弱い防水層では突き破られても無理はないな、ということが理解できました。ですから緑化防水は、相当性根を据えてかからなければならないと思います。

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それからもうひとつ考えておかなければならないことがあります。樹木の根の肥大です。損傷でよく見るのは、アスファルト舗装の不具合です。歩行面が盛り上がって、表面がひび割れていることをよく見ると思います。

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これが街路ならば多少は許されるのかもしれませんが、屋上だったら土壌層がぎりぎりの厚さで作られているので、クレームになると思います。そこで根の肥大も調べました。

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測定に使ったものは、実験室のそばにある桜の木です。私どもの研究室に来られた方はご存じだと思いますが、これが私どもの実験室です(写真)。手前に木があります。昔の学生さん達が卒業記念に植えていってくれたものです。研究室仲間しかわからないのですが、クイビー桜と呼ばれています。私の研究室の方針は、何でも全員参加ですので、この木にも加わっていただきました。まず土を掘り起こして根を裸にしました。根はパンツを脱がされた状態になりましたので、さぞかし恥ずかしかっただろうと思いますが、これもひとえに学問のためとあきらめてもらいました。この根の途中に肥大する力を測定する装置を取り付けました。装置の原理は簡単で、両側から根をはさみこみ、ロードセルを取り付けて力を測るというものです。これを使って夏と冬の2シーズン測りました。冬は確かにぐっすり寝ていて、力を出しません。しかし春先から夏にかけては、根は成長していて力を出します。これもやはりクマザサと同じように脈動しながらです。昼間は圧力がさがり貧血状態、夜間は高血圧状態です。だから植物は全体として貧血と高血圧を繰り返しているということが分かりました。

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そして最大値として、根の長さ1cmあたり440Nを観測しました。これがどれ位のパワーかといいますと、根の長さを1m部分として換算すると大体4.4トンになります。小型乗用車は重さが2トンくらいですから、これを2台位は持ち上げることができます。大変な力持ちであることが分かりました。

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この研究を通して、「相手をよく見ることが大事」ということを実感しました。特に本日お集まりの若い方に申し上げたいのですが、研究することは、データが単純に増えてゆきますから、パターン化されたマニュアルどおりの作業をすることと思うひとが多いのですが、実はパターン化された段階では、研究の実質の部分がほとんど終わっています。それよりも研究の初期は、試験体でも現物でもなんでも良いのですが、それとしっかり向き合って、じっくり見ていただきたいのです。そうすると研究の方法も見えてきますし、研究対象への対応のしかたも自分で分かってくると思います。

>>つづく

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