「今の防水業界がこれでいいのか」「いい仕事をすること、社会的貢献をすることと、防水工事で利益をあげることは両立すべきだ」と考えるあなたに!

2011年8月14日号(№59)

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2011年葉月はづき 平成23年、昭和86年、大正100年、明治144年

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建築学会教育賞を受けたシミズオープンアカデミー

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今年度2回目の講演テーマは「木造社寺建築を探る」。
~なぜ長持ちするのか~ 雨仕舞と耐震性の工夫

清水建設は、「ものづくりの楽しさや建設の面白さ、奥深さを多くの人に伝えたい」という想いから、2008年9月、「シミズオープンアカデミー」を開設した。>>つづきを読む

女流詩人のさきがけ 永瀬清子の生家が荒廃し雨漏り

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明治初期建造、歴史・文化的価値高く、保存、改修へ
岡山県赤磐市出身の詩人、女流詩人のさきがけ永瀬清子(ながせきよこ 1906~95)の生家=同市松木=を守ろうと、岡山県内の建築家や詩人でつくる「永瀬清子生家保存会」が改修を始めた。>>つづきを読む

なぜ必要?どんなことするの?何が大変?

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防水・建材商社最大手が流通スタッフ対象に防水講習会 講師は元、高山工業工事部長の岩城さん
自分の失敗・経験をもとに、六本木再開発での地下防水の難しさを話す岩城輝久雄さん。防水工事店最大手の高山工業での40年間のキャリアにもとずく話だから説得力がある。>>続きを読む

新宿中央公園・十二社(じゅうにそう)が見た600年

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この緑の下に防水層に守られた巨大な変電所
新宿区民の森だ。植栽部分以外はすっかり舗装されているのは興ざめだが、あまり構われずに、大きく育った木の荒れ具合が、妙に心やすらぐ。地図の十二社通りの文字の右下のあたりに熊野神社。>>続きを読む

聖書と防水ギャラリー ~ノアの方舟~

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聖書と防水三部作。ノアの方舟の防水
ルーフネット読者のマザーKKがI.ガンチェフが画いた「ノアの方舟」を摸写してくれました。
>>絵をみる

絵日記

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ルーフネットが伝えたいこの人の言葉 ①

ルーフネットが伝えたいこの人の言葉 鶴田 裕さん

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鶴田 裕さん(左)。右は東京工業大学田中享二教授(当時)。

鶴田 裕さんのプロフィール

鶴田裕(つるた ゆたか)氏
防水をライフワークとする元大成建設の防水・仕上材料研究室長。停年退職後、防水メーカーに6年間勤務したあと、NPO建築技術支援協会(略称PSATS・サーツ)で技術アドバイザーとして、防水担当。平成15年から東京地方裁判所の防水・漏水訴訟の調停員を務めている。NPO匠リニューアル技術支援協会理事。

約30年前、中小超大手にかかわらず、ゼネコンの最大の問題点は漏水・雨漏りだった。BCS(建築業協会)に「防水研究委員会」が出来た頃で、一番「切ない」時だった(鶴田氏)。各ゼネコン研究所も防水を最重点課題として、対策に全力投球した。会社の枠を超えた防水研究者同士の繋がりは強く、設計者、メーカー、工事店を巻き込んで、防水材料・技術の発展に大きく貢献した。鶴田さんはそうした防水研究者の中心メンバーの一人。(編集長記)

《略歴》
昭和11年 東京都新宿生まれ
  33年 早稲田大学建築学科卒
  35年 同大学院工学研究科・建築材料施工専修修了
  35年 大成建設入社
  60年 技術研究所建築部長
平成4年 日本建築仕上学会 論文賞受賞
  8年 定年退社
 • 日本建築学会防水工事運営委員会主査
 • 建設省総プロ「建築物の耐久性向上技術開発」・防水グループ主査
 • 建築業協会防水研究委員会委員長
 • 日本建築仕上学会理事
 • 日本外壁防水材工業会副会長 など歴任。
 • 平成5年には「カーテンウォールのオープンジョイントの実用化」で大成建設社長賞受

講師紹介にかえて

「アルアルだらけのナイナイずくし」
防水工事の問題点はここにアッタ。

東京地裁の調停員に任ぜられて3年目の時に、今までの経験を、裁判官や弁護士を対象に講演した。
最後に「雨漏りを防ぐには誰がリーダーシップをとるべきか?」という質問があり即座に、「それは設計者です」と応えた。

その経緯や、そう答えてしまった理由を、サーツの機関誌「PSATS report」Vol.29に次のように書いた。それが「アルアルだらけのナイナイずくし」。

  1. 防水層がない!
     その1: 斜線制限を受けた斜め屋根のほとんどがタイル張や塗装状の仕上げだけ。
     その2: 地下外周壁の外側に防水層が無い。ブロックの2重壁による水漏れの目隠しで、住宅では健康を害し、業務用では湿気で用をなさず。
  2. 防水をしたつもり!シーリング材の能力を過大評価。ALC建築に目立つが、斜め屋根であろうものなら事態は最悪。
  3. 沢山あるのは“みずみち”!コンクリートの亀裂、打ち継ぎ、セパレーターまわりなど。そして全く無くなってしまったのが、「良いコンクリートを打とう」という心意気。
  4. 足りないのが断熱層の厚さ!現場発泡材に共通する問題。セパのボルトを残し、これを定規とし、厚さが1/3しかなかったのには絶句。

ルールネットは開設時から、「伝えたいこの人の言葉」として鶴田さんを追いかけていました。このほど、その鶴田さんが防水技術者としての 50年間の総括として、サーツの機関誌に書いたのがこれ。鶴田さんのコメントを加え、サーツの許可を得て転載します。
今回は、NPO建築技術支援協会(略称PSATS・サーツ)機関誌掲載された、前半部分です。

H3年賀状

写真は本文記事とは関係がありませんが、鶴田さんは趣味の鉄道写真を毎年の年賀状にしています。これは平成3年の年賀状。イタリア国鉄(フィレンツェにて)。

鶴田教室①

急に多様化した防水構法との闘い(前編)

鶴田 裕

はじめに

平成17年(2005)は、防水関係者にとって節目に当たる年であった。防水技術の権威者であられる小池迪夫先生が東京工業大学在任時に、「日本で最初に防水が施工されたのはいつか」を探るために日本建築学会誌を時代を遡って調べ、辿りついた結果は明治38年(1905)竣工の大阪瓦斯事務所で、中之島四ツ橋筋・渡辺橋南詰の角に建てられた煉瓦造の屋根だった。清水組の設計(田邊淳吉工学士)施工で、アメリカから輸入されたアスファルト防水がこの建物の平屋部分の陸屋根に施工された。竣工した時は日露戦争に勝った時だったので、大変賑やかなお披露目であったと大阪瓦斯の社史に記されている。相前後して日本に鉄筋コンクリートが伝えられ、陸屋根普及とアスファルト防水の施工量の増加との関連についても触れられている。*1  

合成高分子防水材の登場

それから約50年間はモルタル防水が補完的な程度で使われたが、防水といえばアスファルトと同義語であった。その約50年後つまり昭和30年からの数年間は私の在学期間で、たまたま大学から近くの学習院大学で前川國男氏設計のピラミッド状屋根の校舎建築が進められていて、折に触れ見学させて貰っていた。この将来を先取りしていた工法にすっかり酔いしれてしまい、ピラミッドを構成するコンクリートパネルのジョイントに使用予定の、米国から輸入する油性コーキング材の存在を知り、私にとっては情報源の駆け込み寺的存在だった増上寺前のアメリカ文化センターから資料を入手、同時に輸入商社から商品サンプルも貰って目地材としての試験もしてみた。その商社から、目下JIS規格原案作成中とのことを耳にした。このJISは昭和36年7月、JESから引き継いでJISになったアスファルト系材料を別にして、仕上げ系材料初のJIS制定となった。委員会長はすでに東京工業大学から明治大学に移られていた狩野春一先生で、浜田稔、吉岡丹、波多野一郎、岸谷孝一先生ら、仕上げ以外の分野も加わったそうそうたるメンバーで構成された委員会だった。

昭和35年に大手ゼネコンに創設されたばかりの技術研究所・材料施工部門に入社がかない、程なくしたころ都内の現場から「前日施工した塗布防水が夜来の雨で流され、ドレンから側溝までアブクだらけになっている」との連絡が届いた。卒論や修論はやっと国産化が始まったばかりのポリエステルやエポキシ樹脂の建築部材としての評価をテーマにしたので、多少は承知していたつもりだったが、現場に出向いたものの“見物”の域を出ず、現場所長の「最近はこんな舌を噛みそうな商品名の材料が跋扈し始めているので、技研でしっかり勉強しておいて呉れよ!」という声で送り返された。この野次馬気分の現場行きがその後第3の人生までどっぷり浸かることになるとは夢にも思わなかった。後で判ったことだったが、この時の液状防水材料は水が乾燥して防水被膜ができるタイプのもので、こういう防水材を昨今では塗膜防水というが当時は塗布防水と称していた。塗布防水で痛めつけられた経験者は忌み嫌う用語の扱いをし、その後15年以上経って登場したウレタン防水まで凍結された工法であった。

入社後数年間は火力発電所の外壁パネルの目地に使用する米国から輸入するポリサルファイド(チオコール)シーリング材、東京オリンピックを控えてのホテルニューオータニのカーテンウォール用の国産初のシ-リング材、併せて富士山頂の気象観測基地建屋での適用を前提とした極低温性能評価の3プロジェクトに追われていた。まだ前述の油性コーキング以外のJISは無く、また建築学会の標準仕様書は昭和27年にアスファルト防水と防水コンクリートが案として学会誌に掲載されてはいるが、解説を付けた独立の書物として刊行されなかったので、知る人ぞ知る存在でしかなかった。

前記の3プロジェクトの調査研究実施に当たりこの分野で第1人者であられた千葉大学の波多野一郎先生を訪ねいろいろご指導を頂いた後、「このような性能上重要な材料について、性能標準や施工標準を早く作り、安心して使えるようにして欲しいですね」と他人事の口調で要望した。後年お鉢が回ってくることになるとは思わなかった。

昭和39年秋の東京オリンピックが終わって程なくした時、既に起工していた新宮殿工事JVから合成樹脂系シート防水の諸性能についての調査・研究依頼が届く。勿論JIS規格もJASSをはじめ公的機関の施工標準も無かった。このJVはゼネコン5社で構成されていたが、そのうち2社がシート防水の材質、接着性能、施工性などの大掛かりの実験調査を分担して実施した。この調査研究実験で初めて知る技術データが多く、その後の公的機関等の仕様などの整備に拍車がかかったものと思っている。

前述の3プロジェクトのシーリング材の時に波多野先生にお目に掛かったのが縁で、昭和41年に制定されたポリサルファイドシーリング材のJIS原案作成委員として初めて参加。引き続いて合成高分子ルーフィング(いわゆるシート防水)にも下書き役で参加、アスファルト防水に次ぐJISが昭和44年に制定された。以来、原案の文章作成或いは意見の提出など関与の程度の軽重の差は多少あったが、手元に残っている資料を見たら34項目の材料や試験方法の制定にかかわっていることを改めて知った。数年ごとの見直し改定にも参加しているので、振り返ってみて会社業務として良く承認してくれたものと思っている。公式に刊行されたJISの表紙裏には作成委員の氏名が書かれているが、委員の委嘱状にはゼネコン関係者は使用者欄に列挙されている。建物の本当の使用者は今流にいうとマンションの管理組合が最強力として目に浮かぶが、一歩譲っても法的に大きな決定権を持っている設計者ではないのかと今でも思っている。しかし、ついぞJIS 委員会で設計者の姿を見たことはなかった。

標準仕様書の整備

昭和40年代半ばになってようやく新材料のJIS規格が整備されてきたころに、知る人ぞ知る的な存在でしかなかった建築学会のJASS 8の整備に取り掛かることになり、昭和47年10月に今迄のアスファルト防水に加え、シート防水とシーリング工事が加わり、解説付きで初めて刊行された。塗膜防水が加わったのは昭和56年の次回の改定時だったので、前述のアブクだらけの塗布防水の現場を見て以来、ようやく20年経過後ことであった。

JASS8の昭和47年の制定、56年の改定時点では、新しく世の中に出てきた合成高分子シートや合成高分子塗膜防水などを仕様書として整備するのが精一杯で、旧来からのアスファルト防水と合わせ横並びで防水層の性能評価をするまでには到らなかった。しかもルーフィングの材質別、枚数別、液状材料の使用量の多少などを考慮したために、なんと総数47仕様になってしまい、どれを選べば良いのか、少々の知識では太刀打ち出来ない状況になってしまった。どうすれば良いのか判断できなければ、自然に安価な仕様になり、最上級仕様は丁度銀座から三田に移転した日本建築学会の建物に採用された例を知るのみである。

そこで㈳建築業協会(BCS)内にゼネコンの技研や技術部のメンバーで構成した防水研究委員会を立ち上げ、最適な工法と仕様を選べる仕組みを作成することとした。BCS会員会社、防水専門工事会社、材料メーカー、設計事務所、更には官公庁などからも標準図や仕様などを提供願い、4年がかりで昭和56年版 JASS8モデルにして、防水層上の用途、スラブ種別、保護層の有無、風や雪、防火、更に美観、屋根形状などのステップチェックを経て絞り込めるようにして、更におさまり図も含めて、昭和59年に刊行した。*2私が年回りの関係で委員長を務めることになってしまったが、その後の学会仕様改定版の解説欄にこれらをベースとした適用表に生かされている。

いわゆる断熱防水のこと

たまたま昭和38年にアメリカの防水現場や実態を知る機会があった。日本のような屋上使用は稀ということが関係しているとも思ったが、屋上は露出防水か砂利撒き押えが多く、よく見ると断熱材と防水層がドッキングしているではないか。いわゆる外断熱である。当時の日本の場合は、一部のアスファルト防水メーカーから、スラブ上にまずウレタン発泡断熱板材の両面にアスファルトルーフィングを張り合わせたボードを施工し、その上に露出アスファルト防水層を施工する仕様が出されていたが、施工実績は微々たるものだった。当時は断熱というより結露防止のために木毛セメント板や発泡ポリスチレンをスラブ下に打ち込む程度だった。昭和40年代後半に第1次石油ショックの洗礼を受けた。そこで研究所の屋上に断熱層と防水層を組み合わせた仕様の試験体を施工し、スラブ上や太陽光直射面など(断熱材の厚さ別、シルバーパイントの有無、我国特有の押えコンクリートを載せた仕様など)の温度測定を継続して1年余り実施した。

外断熱防水工法の建物に対する数々の利点をデータで知ったが、最も大きな問題はスラブ+防水層+断熱層+押え層の場合、断熱材の吸水や吸湿防止である。当時の断熱材のJISにごく短時日の吸水試験方法が記されていたが、その方法では建築物のような10年オーダーでの推測には役立たないことが分かった。そこで、20℃50%RHの恒温恒湿室に恒温恒湿槽を持ち込み、槽の扉部分に数種類の断熱材を取り付けて槽内を50℃100%RHにしたところ、断熱材の含水率に大きな差が認められた。環境工学の方々からのいろいろな意見は耳に届いたが、この報告*3が当時の日本住宅公団の技術者の目に留まり、その後に設けられた外断熱防水工法研究委員会で検討され、公団としての押え層付きの断熱防水仕様採用の報告書が出されている。*4 *5当時公団は屋根からの雨漏りで悩んでいて、新聞記事などで痛めつけられていた。防水層上の断熱層により防止層の劣化進行は大幅に改善され、しかも押えコンクリート層の伸縮に対しては柔らかな断熱層が動きを吸収。さらにコンクリートスラブの年間温度差が断熱層によって25℃(東京付近)程度に狭められて、従来悩まされていた建物の北側外壁端部に発生しがちだった逆ハの字型の亀裂発生も減少したとのことであった。総合的な改善がはかられ、以後の屋根からの漏水はほとんど無くなったと報じられた。断熱材の含水率についてもその後20年にわたり住都公団の手でフォローされていて、押し出し成形で製造された発泡ポリスチレンの採用効果が評価されている。

つづく
「PSATS report」Vol.48 2011.4より


*1 防水100年「建築雑誌」にみる先輩達の航跡 小池迪夫防水ジャーナル創刊300号記念1997.7
*2 BCS式カードによる屋根防水層の選び方と納まり ㈳建築業協会防水研究委員会 1984.12  
*3 大成建設技術研究所報第10号 1977
*4 RC及びPC住棟屋根外断熱防水工法の研究、日本住宅公団 1977.8
*5 断熱防水 鶴田 裕 施工1978 1 P.176

2011/08/06(木) 14:44:24|ひと|


「BOUSUIデジタルアーカイブ」防水歴史図書館

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我が国の防水の歴史を考察する上でどうしても欠かすことのできない文献が何冊かあります。
防水歴史図書館(BOUSUIデジタルアーカイブ)では、そんな文献を1冊ずつ選び、本が書かれた当時の様子、おもな内容、その本のどこが「すごい」のか、現在生きる人たちにとって、どんな価値があるのか、それぞれの資料を担当するキュレーターが、時には執筆関係者への取材を交えて、分かりやすく解説します。

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