「今の防水業界がこれでいいのか」「いい仕事をすること、社会的貢献をすることと、防水工事で利益をあげることは両立すべきだ」と考えるあなたに!

新宿中央公園・十二社(じゅうにそう)が見た600年

新宿中央公園・十二社(じゅうにそう)が見た600年

この緑の下に防水層に守られた巨大な変電所

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新宿中央公園を見下ろす。

区民の森

新宿区民の森だ。植栽部分以外はすっかり舗装されているのは興ざめだが、あまり構われずに、大きく育った木の荒れ具合が、妙に心やすらぐ。

十二社

この辺りは十二社(じゅうにそう)と呼ばれている。
地図の十二社通りの文字の右下のあたりに熊野神社。

社務所の前にこんな看板がある。

室町時代の応永年間(1394-1426)に、中野長者鈴木九郎が、故郷の紀州熊野の十二所権現をうつし、祀ったものと伝えられ、その為に、この辺りは十二社と呼ばれるようになった。また、周辺にはかつて池や滝があり、江戸時代中期より、江戸西郊の景勝地として有名だった。

熊野神社の看板
十二社大池の舟遊び(『淀橋誌考』)

明治25年(1892)淀橋浄水場の工事に伴い、埋め立てられた。ヨドバシカメラのヨドバシだ。

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アスファルトの歴史に関する古典的資料、村岡坦 著「アスファルト」に掲載されている東京市水道沈殿池のアスファルト塗布の写真。「明治32年12月17日、淀橋浄水場内で落成式開催」と書かれている。

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江戸中期の景勝地「十二社」は明治には浄水場となり、昭和40年頃から始まった新宿再開発で、超高層ビル群に膨大な電力を供給するために地下16メートルに変電所が建設される。地下5階の逆打ちの突貫工事。それを追っかけて夜を徹しての防水工事が1年半続いた。

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さて、ルーフネットのキャッチフレーズは「歴史的遺産とかかわり、最先端技術への貢献、次世代に残す環境と文化。「防水」でもそれが可能です。」であり、この言葉を取材の基本姿勢にしています。

昨年5月に続き、今年も4月に奥山化工業(東京)と日本防水総業(札幌)のルーフネット座談会を行いました。

古い記録はきちんと残していかなくてはいけない。昔の事をご存知の方が亡くなってきたり、書類がなくなったり、老舗の二代目三代目になって先代の時のことがどうなっているのか良く分からないというのは珍しくありません。これは、あまりにももったいないと。ものすごくプライドをもって仕事をやっておられた。トップの方が高い志を持ち、現場は現場で、職人の心意気というのがものすごくあった。そういう、プライドだとか誇り、志、そういった物を伝えることは大事だろうと思うのです。

北海道と東京の名門防水工事店。奥山化工業と日本防水総業の浅からぬ因縁。一つ一つの工事や出来事を通じて、両社の堅い信頼関係がどんな風にできあがってきたのか、古屋さん、斎藤さんの記憶は鮮やかだ。

今回取り上げるのは、座談会で話題にのぼった、淀橋浄水場後に建設された新宿超高層ビル群に電力を供給する大型変電所の防水工事。

森田:奥山さんの古いカタログには、興味深い話が多いのだけれど、気になっていた物のひとつが、屋上緑化。すでに、戦前のカタログには、屋上緑化の仕様が載っている。緑化の事例は多かったんですか?
古屋:建物の事例としては、あまり記憶にありませんが、大きなものに「十二社(じゅうにそう)」の地下変電所があります。これは、ある意味、すごい緑化防水です。同時に、私にとって忘れられない、工事でもあります。上が全部、新宿の中央公園になって要る訳ですから。地下16メーターで、全部土を盛って公園にしてしまった。
森田:あれは、面白いですよね。下が変電所になっているなんて全然知らない人もいるから。
古屋:新宿の、再開発の為の変電所ですから。昭和42年です。それこそ、特2号です。いまは、水浸しだと思うんですが、今のところ、クレームは無い。45年経つのかな。
森田:地下変電所で、地下外壁があって、上もやって。
古屋:地下外壁はやっていないです。変電所の場合には二重壁ですから。上から何メーター落とすかで、侃々諤々やりました。どこまでやってもキリがないですからね。
森田:結局、どこまで落としました?
古屋:1メーターほどで切っちゃいましたね。キリの良いところで。結局、下で作業が出来るのは1メーターが限度だという事で。それこそ、張りじまいを焼き鏝じゃないけど、焼き付けて。だから、外壁から入った水が、天井を這うらしいですね。
片山:ああ。
古屋:時々水位が上がると。十二社(じゅうにそう)という池があるくらいですから、水位が高いんです。新宿の一番外れで、十二社池ノ下と言う位だから。
片山:十二の杜と書く。
古屋:新宿の都庁の裏。熊野神社と言うのがあるんです。ちょうど坂を下りて行った所に十二杜という池が有るんです。そこに作った変電所ですから。
片山:今、住所録で十二杜と言うのは残っていなのかな。僕らが学生の頃は、あの辺りを十二杜と言っていた。
古屋:淀橋浄水場があった時は本当のはずれだったんでしょう。人が住むような所ではなかった。キツネやタヌキが出て、夜は1人で歩けなかったんじゃないですか。
片山:昭和40年代後半に超高層ビルでしょ。
古屋:淀橋浄水場をやめてね。
片山:僕らが社会人になった時に高層ビルを建て始めた。
古屋:京王プラザが残って、赤プリを壊しちゃったんですからね。
片山:赤プリ(赤坂プリンス)の方が、ずっと新しいのにね。
古屋:京王プラザは超高層のホテルの中では一番古いんですよ。新宿の西口では。
(以下、略)

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古屋さん(左)、渡辺さん(右)

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片山さん(左)、齊藤さん(右)

奥山化工業(東京)と日本防水総業(札幌)のルーフネット座談会
2011.4.21 東京・内幸町 シ―ボニアンメンズクラブにて

昨年の座談会の様子

我が師は菊五郎。≪ルーフネット広場≫
北海道と東京を結ぶ技術屋の心意気

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2011/08/04(水) 14:44:24|ARCHIVES|

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