「今の防水業界がこれでいいのか」「いい仕事をすること、社会的貢献をすることと、防水工事で利益をあげることは両立すべきだ」と考えるあなたに!

2011年 1月20日 号

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2011年 睦月むつき 平成23年、昭和86年、大正100年、明治144年

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続・アスファルトもシート防水も塗膜防水も「防水の歴史は4千年」

色紙

日本の場合
防水の歴史は、世界では4000年だが、日本に目を向けると、最古の文献として残っているのは西暦668年の以下の記録。

※※※

「日本書紀」《天智天皇七年(六六八)七月》◆高麗従越之路遣使進調。風浪高。故不得帰。以栗前王拝筑紫率。于時近江国講武。又多置牧而放馬。又越国献燃土与燃水。又於浜台之下諸魚覆水而至。又饗蝦夷。又命舍人等、為宴於所々。時人曰。天皇天命将及乎。>>続きを読む

雨漏りを憂う天智天皇の歌「秋の田の…」にもとづく、近江神宮かるた祭

かるた祭

1月第2日曜は、近江神宮かるた祭
天智天皇を祀る滋賀県近江神宮のかるた祭は1月9日。
小倉百人一首の第1番・天智天皇御製「秋の田の かりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ」にもとづき、歌かるたの祖神である天智天皇の大前でかるた始めの儀が行われる…全文を読む

近江神宮かるた大会顛末

歌碑

かくして近江神宮かるた大会が実現し、近江神宮はかるたの聖地となった。
近江かるた協会初代会長・牛尾次郎さんは、御祭神(天智天皇)は何人も知る小倉百人一首第一番歌の歌人であらせられる。よろしく全日本のかるた人に呼び掛けて権威あるかるた大会を、年中行事として、制定すべきであると訴えた>>資料を見る

バベルの塔に先立つメソポタミアの高層神殿ジグラット

ジグラット

「聖書と防水」3部作
発掘されたジグラットの素材はレンガとアスファルト
古代メソポタミア、ウルの遺跡にあるジグラット(多層構造の神殿)。紀元前2200年頃ウル・ナンム王がが建設した7層の神殿で、上から金、銀、橙、青、赤、黒、白に塗ってあったらしい。下2段が現在残っている。世界中に言葉はひとつしかなく、同じ言葉を話していた。東のほうからきたある人たちが、シンアルの地に住み着いた。そして「レンガを焼こう。石の代わりにレンガを、漆喰の代わりにアスファルトを用いて、さあ天まで届く塔のある町をつくり有名になろう」と言った…全文を読む

絵日記

東寺の新年 竹林


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あるコスモポリタンの憂国(『選択』連載1)

日本人の民度革命に寄せて

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元旦に、紺野さんが2007年2月から、雑誌『選択』に「あるコスモポリタンの憂国」として連載された記事を改めて読んでいた。本サイトの「ミュージックフォーラム」で紹介している紺野大介さんとの出会いのきっかけになった『音楽と工学の狭間で~ミュージックトライボロジー』の記事がなぜ古く感じられないのだろう、と思いつつ。『選択』連載の第1回目は「日本人の民度革命」。橋本左内が生きた幕末、多くの日本人が持っていた「誇り」、知っていた「恥」、それが汚れること畏れる「名」。そんな精神風土を、自ら研究し英訳した橋本左内15歳の著作『啓発録』と絡めて考察している。「志」は古くならなくて当然だ。新年初の憂国のコスモポリタン紺野大介清華大学招聘教授の著作紹介は、やはり、これです。

実は『選択』連載10、「北陸の発明王」酒井弥氏による「シアノバクテリア農法」を転載しようと思っていました。この酒井さんや、無農薬無肥料リンゴ栽培の木村さん、日本熊森協会の森山まりこさんなどには、同じ「志」を感じます。森山まりこ会長は、新年のあいさつで、こんなメッセージをくれました。「社会の不正に対して、人は本能的に正義感を燃やします。しかし、多くの人は途中で投げ出します。最後まで旗を振り続けた人こそ、信頼に値する真の勇者です。1回しかない人生、私は、そんな人と交わって生きたいと願っています。」(Y.M.)

日本人の民度革命

連載1表紙

 海外へ度々行き、外国人との交際も深まり、見識ある方々の自宅に招かれると、「日本とはどのようなお国か?」或いは「何を大切に生きているのか?」といった会話も交わされる。そして私の経験によれば、人物になるほど自国の歴史や文化を深く認識しており、歴史の「光と影」を清濁あわせ呑み、誇りをもって説明する。歴史ある中国、ヨーロッパの国々も、歴史のあまりない米国においても。
 振り返って我々日本人はどうであろうか?私は専門とする自然科学や趣味の話はできても、わが国の文化や歴史を十分に説明できなかった。というより外国人に対し日本という国家を「誇り」をもって説明できなかった―――という方が正しい。それに我々の世代は日本という国に対し「誇り」を持てるような歴史教育を受けてきたであろうか。
 こうした懐疑と自省から理系に進んだ私も、遅ればせながら自国の歴史を知りたいと思うようになった。本業が繁忙でも、その気さえあれば一つの事柄、一人の人物を深く知覚することで、その時代や価値観といったものはかなり詳細に理解できる。私の場合、祖母から遠戚関係にあるらしいことを聞かされていた幕末の英傑・橋本左内を研究した。その理由は左内が近世日本を代表する傑出した政治家であったと思われることにある。そして具体的な形として一九八五年から約十年かけ、左内十五歳時の著作『啓発録』英訳と取り組んだのである。
 橋本左内は歴史教科書には「安政の大獄」で斬刑に処せられたとき僅かに名前が出てくる程度で他に記述がない。しかし生前、西郷隆盛が「吾、先輩において藤田東湖に服し、同輩においては橋本左内に服す」と語り、二者の才学器識、自分の及ぶところ一つもなしと言わしめた圧倒的な人物。西郷が西南戦争で城山で自決した際、和服の中に七歳年下の橋本左内からの書状二通を後生大事に所持していた、知る人ぞ知る逸話もある。また処刑直後、川路聖謨、岩瀬忠震と並ぶ幕末の三賢奉行の一人、酒井忠徳が「井伊大老が橋本左内を殺したるの一事をもって徳川幕府を滅ぼすに足れり」と言わしめたほどの傑物。また吉田松陰の弟子であった伊藤博文は、壮烈な最期をとげた橋本左内に対し墓碑に詩幅をささげ敬慕し、終生「左内先生の後学」と称した。更に『近世日本国民史』全百巻の大著を完成した徳富蘇峰は「橋本左内は日本が生んだ不出世の英傑であり五百年か千年に一度出るか出ないかの人物」と評したほどの逸材なのだ。英傑なるが故、藩主の命で若くして政治の表舞台に出、二十五歳の若さで松平春嶽公の身代わりとなり刑場の露と消えたのである。
 『啓発録』を読むと、その内容の濃さに先ず感銘し、十五歳の書と知って驚愕するであろう。安易に流れやすい生活に対し、生きているのが恥ずかしくなる程の示唆が与えられる。「立志」の「世の大半の人が何事も成し得ず生涯を終わるのは志が逞しくないためである」等自己を厳しく律している人でさえ、適度な緊張感を獲得できるであろう。これらの雰囲気が醸し出す、名状しがたい崇高さが心の奥で深化する。

連載1タイトル

 遅々として進まなかったけれども、これを原典から読み込み英訳、和綴じ私家製本化し、欧米中国などの主要大学図書館に寄贈した。予想だにしなかったがクリントン前大統領や英国ケンブリッジ大学総長らから感謝状を戴いた。前米大統領は橋本左内の存在を知らなかった模様で、左内の生き方と人物に対し〝当時の志操高い日本〟に感嘆したビル・クリントンのサイン共々したためられていた。〝当時の〟といった連体詞が痛く残り記憶している。
 また海外で『啓発録』や侍・橋本左内の話を少し披露するだけで、外国人の多くが日本人の生き方や価値観を認識し、誠実さや徳高さに驚き、潔さに敬服し、美意識に尊敬の念を表す。いわゆる人間の〝民度〟が限りなく高いことへの羨望が感じられる。シリコンバレーでもロンドン大学や北京大学でもそうであった。シリコンバレーでは「他者のために身代わりとなり黙して死ぬことへのキリスト教精神との共通性」、ロンドン大学では左内斬死の瞬間の話に息をのみながらも聴講者から「左内先生がもし生きて初代総理になっていたら日本はもう少し違った国家になっていたのでは?」、北京大学では「こんな大人物、何故日本の教科書にでていないのか?次世代の子供達に何故このような偉人の話を伝えないのか」―――といった直訴に近い雰囲気で、それぞれ重く響くものであった。
 国家のために非命に葬られた優れた志士達に、日本人より外国人の方が目頭を熱くする。そうした光景を見ていると幕末維新という時代の沸騰点が、国を超えていかに大きく人を感動させ得るかが分る。申すまでもなく、橋本左内が生きた時代、日本人には「誇り」があり「恥」を知っており「名」が汚れることを畏れる風土があった。

 しかしながら今日の日本を鳥瞰すると如何であろう。政治も経済も教育も深い混迷にあり、解決の本質を見出せないでいるといって過言でない。誤解を恐れずに例をあげれば、国会議員は中国を遥かに上回る太子党であふれ、自浄作用が麻痺している。また国家財政が破局状態にある経済、信じられない内容の連日の少年・親子犯罪の多発は、親や学校の教育が殆ど〝死に体〟に近いことを証明している。精神的基盤が無くなってしまったためか、道徳的に降伏してしまっているのか。
 三十五年間で世界六十カ国、三百都市を回ってきたけれども、彼らは〝日本を知らない〟か〝知っているが尊敬していない〟のどちらか。カネはばら撒いてきたが、尊敬される国家戦略、敬意を感じさせる美学などが無くなったからであろう。世界の主要国からみても、日本は限りなく軽い存在、大国に対し萎縮し、一方で絶対精神が弛緩した状態なのではないかと思われる。つまり個々人の〝民度〟が限りなく下落した結果に違いない。考察するまでもなくそれは米国から与えられた自由主義、自分達の手で勝ち取ったものではない民主主義がもたらした〝全体〟のためなのであろう。

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 比喩の適否はともかく、米国の作った学校のお砂場。そこに聳える日本城。この城に今のまま幾ら上乗せしても海外から敬意は払われない。しかし日本城を一度破壊し、砂を深く深く取り払えば日本の大地が出てくる筈である。日本人のDNAは左内だけでなく幕末維新で明らかなように元来ヤワではない筈である。十五歳で『啓発録』のような著作ができた人物は欧米にはいない。安っぽい国益を排除し、その大地に再び自分達の血と汗で日本城を立て直し、その環境で力強く働く大人達の背中を子供達に見せるべきである。物理的な破壊は無論必要なく、〝民度革命〟が必要なのである。外国人はこうした残像のある日本人にこそ敬意をはらっているのだと愚考している。

(2007年2月「選択」)


「BOUSUIデジタルアーカイブ」防水歴史図書館

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我が国の防水の歴史を考察する上でどうしても欠かすことのできない文献が何冊かあります。
防水歴史図書館(BOUSUIデジタルアーカイブ)では、そんな文献を1冊ずつ選び、本が書かれた当時の様子、おもな内容、その本のどこが「すごい」のか、現在生きる人たちにとって、どんな価値があるのか、それぞれの資料を担当するキュレーターが、時には執筆関係者への取材を交えて、分かりやすく解説します。

  • 主な収録項目

資料第壱号「アスファルト及びその應用」

資料第弐号「日本アスファルト物語」 (編集中)

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