「今の防水業界がこれでいいのか」「いい仕事をすること、社会的貢献をすることと、防水工事で利益をあげることは両立すべきだ」と考えるあなたに!

2015年2月26日 号(№234)

2015年2月26日 号(№234) 画像の説明

2015年 如月きさらぎ平成27年、昭和90年、大正104年、明治148年

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第29回ピングラウト協議会総会と講演会

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柿崎会長ら全役員留任
湯浅教授が「THEコンクリート―物性とひび割れ」で記念講演
親水性発砲ウレタン樹脂による注入止水工法の施工団体であるピングラウト協議会は、平成27年2月13日、東京竹橋のKKRホテルで第29回定時総会と講演会を開催した。>>つづきを読む

2014年ウレタン防水材出荷量

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2014年のウレタン防水材出荷量は5万7千トン
対前年比106.6%で好調維持
日本ウレタン建材工業会(NUK。三浦吉晴会長)はこのほど、2014年1月から12月までのウレタン建材用途別出荷量を発表した。>>つづきを読む

絵日記

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新着ニュース

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2015/02/15 「銅屋根クロニクル」バックナンバー 1~21(前半)
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2015/01/24 リ協が2月25日浅草でセミナー
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2015/01/20 第41回水コンペ その2 入賞作品より
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2015/01/15 「世界が注目するアール・デコ建築」の防水 その2
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「銅屋根クロニクル」バックナンバー 1~21(前半)

(一社)日本金属屋根協会機関誌連載中
掲載済の物から前半1~10の概要をご紹介します。

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一般社団法人日本金属屋根協会が毎月発行する機関誌「施工と管理」の2013年2月号から「銅屋根クロニクル」の連載が始まりました。この企画は日本の重要な近代建築や寺社建築のとその銅屋根を紹介し、板金職人の技と心意気を伝えようというものです。第1回は特別編で6ページとなりましたが、次号からは毎回2ページで、物件の紹介と銅屋根施工のポイントを紹介してゆこうというものです。バックナンバーは以下の通り。

「施工と管理」銅屋根クロニクル 1 2013.2 奈良・正倉院正倉
「施工と管理」銅屋根クロニクル 2 2013.4 大阪・大阪城
「施工と管理」銅屋根クロニクル 3 2013.5 東京・築地本願寺
「施工と管理」銅屋根クロニクル 4 2013.6 大阪・中之島公会堂
「施工と管理」銅屋根クロニクル 5 2013.7/8 東京・ニコライ堂(日本聖ハリストス正教会教団復活大聖堂)
「施工と管理」銅屋根クロニクル 6 2013.9 神奈川・横浜市開港記念会館 
「施工と管理」銅屋根クロニクル 7 2013.10 東京・湯島聖堂(前編:屋根)
「施工と管理」銅屋根クロニクル 8 2013.11 東京・湯島聖堂(後編:樋)
「施工と管理」銅屋根クロニクル 9 2013.12 京都・北野天満宮
「施工と管理」銅屋根クロニクル 10 2014.1 兵庫・京都 番外編:缶詰屋根は茅葺き屋根のタイムカプセル?
「施工と管理」銅屋根クロニクル 11 2014.2 東京・迎賓館赤坂離宮
「施工と管理」銅屋根クロニクル 12 2014.3 栃木・日光東照宮-
「施工と管理」銅屋根クロニクル 13 2014.4 東京・京都・奈良国立博物館
「施工と管理」銅屋根クロニクル 14 2014.5 東京・国立博物館表慶館
「施工と管理」銅屋根クロニクル 15 2014.6 愛知・名古屋城
「施工と管理」銅屋根クロニクル 16 2014.7/8 栃木・日光旧田母沢御用邸
「施工と管理」銅屋根クロニクル 17 2014.9 静岡・静岡浅間神社
「施工と管理」銅屋根クロニクル 18 2014.10 京都・ 西本願寺伝道院
「施工と管理」銅屋根クロニクル 19 2014.11 静岡・三嶋大社
「施工と管理」銅屋根クロニクル 20 2014.12 愛知・熱田神宮
「施工と管理」銅屋根クロニクル 21 2015.1 番外編 京都・祇園祭り大船鉾 の銅板屋根

銅屋根クロニクル(1)正倉院

正倉院

銅板や銅板屋根をめぐる話題。第1回は正倉院「瓦を下した正倉院正倉」。前年9月に行われた工事現場公開の様子を紹介しました。
1200年以上前に東大寺の宝物殿として創建された正倉院。本来正倉院とは寺の宝物を保存する倉庫という意味でした。だからあちこちに正倉院がありました。ところが1000年を超える年月の間にほとんどが焼けたり、壊されたり、朽ち果てました。結局東大寺の正倉院だけが残ったというわけです。

その正倉院は瓦葺ですから銅板葺の出番はないはず。ところが100年ぶりの大改修で、瓦がすべて下されると、あちこちに銅板が見えます。どうして? そこでこの記事が掲載されることになりました。

銅屋根クロニクル(2)大阪城

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「大阪城は正面からより、裏側にあたる府庁前から見たほうが美しい」と、ルーフネット編集長は思います。それは屋根の面積が大きいこと、そしてその屋根材が銅板であることが理由の一つ。大坂城のイメージカラーは緑青色。見事な緑青が屋根全面を覆っています。

大阪城は昭和6年、大阪市民の募金で復元されました。瓦の表情を再現するため、銅瓦は瓦と同じ段差を作りました。これほどの大面積で施工したのはもちろん日本初。銅板や厚い金箔も特注です。使った銅瓦は5万5千枚。

銅屋根クロニクル(3)築地本願寺

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(一社)日本金属屋根協会機関誌 5月号の「銅屋根クロニクル3」は、築地本願寺でした。この屋根が緑青色でなければ、随分印象は違いますね。

銅屋根クロニクル(4)中之島中央公会堂

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大阪市中央公会堂は1911(明治44)年に大阪・北浜の株仲買人だった岩本栄之助氏から公会堂のために寄付された100万円をもとに建設された。大正7年に完成したネオ・ルネッサンス様式の建築で、大阪城と並んで大阪を代表するシンボル的存在である。

赤れんがの外壁や丸みを帯びた屋根や柱など、壮麗で優美なデザインに特徴があり、隣には日本銀行、中央図書館の美しい建物が並ぶ。この一角を川から見上げれば、まるでパリのシテ島かサンルイ島の街並みです。

銅屋根クロニクル(5)日本ハリストス正教会教団復活大聖堂

 

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ドーマーとの取り合いはレースのフリンジのようだ。金属でできているとは思えないような、繊細なイメージに「まるでクラゲのよう」という人がいる。

関東大震災で大きな被害を受けた後、一部構成の変更と修復を経て現在の形になった。1962年6月21日、国の重要文化財に指定され、1992年から大規模な修復の取り組みがなされ、準備の期間を入れるとおよそ9年が費やされて、現在の壮麗な姿となった。とはいっても銅板屋根は関東大震災の修理の後はほとんどそのまま、というから大した仕事だ。

銅屋根クロニクル(6)横浜市開港記念館

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横浜市開港記念会館は、横浜開港50周年を記念して、横浜市民からの寄付により建設された。大正6(1917)年6月30日に竣工し、翌7 月1日に「開港記念横浜会館」として開館した。同記念館は、横浜市の公会堂であり、翌大正7年に竣工した大阪中之島公会堂とともに大正期二大公会堂建築 といわれる。
設計は、コンペ当選した東京市の技師福田重義の案をもとに、山田七五郎を中心にして行われた。赤煉瓦に花崗岩をとりまぜた、辰野様式の赤レンガ建築である。

現在の姿からは想像しがたいが、平成の復元工事まで、この建物は現在の屋根もドームもない陸屋根だった。もしこの銅屋根がなかったら、今ほどの観光名所になっただろうか。
大正12(1923)年の関東大震災によって、時計塔と壁体だけを残し、内部は焼失した。
昭和2(1927)年に震災復旧工事が竣工したが、屋根ドーム群は復元されなかった。
昭和60(1985)年に、創建時の設計図が発見されたのを契機に「ドーム復元調査委員会(委員長:村松貞次郎東京大学名誉教授)」の提 言を受け、昭和63年度にドームの復元工事に着手し、平成元年6月16日に、大正時代そのままの姿に復元された。

銅屋根クロニクル(7)湯島聖堂

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1630年に幕臣儒学者林羅山は上野忍ヶ岡に建てた孔子廟と塾を設けたのが湯島聖堂始まり。元禄3年(1690年)5代将軍徳川綱吉が儒学の振興を図るため、それをこの地に移し、大成殿とその周りの建物をあわせ聖堂と総称した。その後寛政(1797年)、十一代家斉藤の時、規模を拡大し幕府直轄の昌平坂学問所として開設した。

屋根の上は正に妖怪動物園。緑と黒に囲まれた四角い中庭を見下ろす聖獣・霊獣たち。築地本願寺で独自のインド風和風建築の世界を存分に展開した伊東忠太は、本願寺で控えめに配置した妖怪たちをここ湯島聖堂では思う存分散りばめた。湯島聖堂は午後5時に鐘を鳴らした管理人が参拝者を追い出して門を閉ざす。この中の聖獣たちはきっと真夜中に屋根を飛び回っているに違いない。

銅屋根クロニクル(8)湯島聖堂の樋

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「孔子樋」「聖堂樋」と名付けたくなるほどの一体感。楷書感のあふれる聖堂になじむ。伊東は同じ時期に築地本願寺を手掛けている。築地本願寺でも樋は存在感を持ちつつ建物のデザインに溶け込んでいた。ここ聖堂ではより頑丈な樋が取り付けられ、軒樋には落ち葉除けの蓋までついている。「こんなところ誰も掃除できないでしょう。大雨の時は溢れたっていいわけだから」という伊東の配慮だ。

銅屋根クロニクル(9)北野天満宮

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檜皮葺きの屋根と銅板のとっても幸せな姿。北野天満宮:北野天満宮は、現在、全国各地におよそ一万二千社とも言われる菅原道真を祀(まつ)った神社の総本社で、親しみを込めて「北野の天神さま」と、また地元では単に「天神さん」と呼ばれている。天満宮の縁起によれば、平安時代中期の天暦元年(947)、京都に住んでいた多治比文子や近江国(滋賀県)比良宮の神主神良種、北野朝日寺の僧最珍らが、この地に神殿を建て、菅公を祀ったのが始まりという。
その後、天徳3年(959)右大臣藤原師輔が北野社の大規模な社殿の造営、宝物の奉納を行った。

銅屋根クロニクル(10)番外編 美山・篠山の茅葺き街道を歩く。

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京都市内から車で約1時間、京都府下最大の面積を誇る南丹市美山町がある。そこには豊かな自然と昔ながらの茅葺き民家が多く残り、今もなお大切に守られている。
美山町は800〜900メートル級の山々に囲まれた谷あいの山村で、もともとは林業や農業を中心に栄えた町だが、近年はアユ釣りと観光の町と言えるかもしれない。
人口は4,454人(平成24年11月現在)。東西を由良川の源流となる美山川が横断し、川に沿って昔ながらの茅葺き民家が残っている。中でも知井地区にある北集落は、特に茅葺き民家が多く、この集落は現在、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。

茅葺きと缶詰屋根が共存する京都・美山地区
深見トンネルを過ぎたあたりから、道路沿いに、茅葺屋根のフォルムを忠実になぞったようなトタン屋根の家が、次々現れる。1件1件屋根の模様が違う。石垣模様だったり、瓦模様だったり、波板、瓦棒といった街中のローコスト民家風だったり、様々だ。 「あー、せっかくの茅葺屋根もトタンかあ」と、独り言を言いながらハンドルを握っていたが、6軒目を通過したとき、あまりのバリエーションの多さに驚くと同時に、「いや待てよ、単に屋根を茅から、別のものに変えるなら、もっと別の選択しもあるはず、ここまで以前の形を、フォローする必要はないはずだ。ここの人たちは、誰よりも茅葺屋根を残したかったんじゃないか」と思い至る。じっくり見ればどのトタン屋根も同じようだが一つ一つはっきり違う。そして素材は銅やステン、チタンといった高級品ではないが、どの屋根も丁寧に作ってある。これは放ってはおけない。Uターンし、写真を撮っていった。そして撮りながら美山までドライブ、ストップ、シューㇳを繰り返すこと約30回。その一部を缶詰屋根として紹介しました。

(今回は、前半1~10の概要を紹介しました)

2015/02/15(日) 01:59:33|屋根|


「BOUSUIデジタルアーカイブ」防水歴史図書館

我が国の防水の歴史を考察する上でどうしても欠かすことのできない文献が何冊かあります。
防水歴史図書館(BOUSUIデジタルアーカイブ)では、そんな文献を1冊ずつ選び、本が書かれた当時の様子、おもな内容、その本のどこが「すごい」のか、現在生きる人たちにとって、どんな価値があるのか、それぞれの資料を担当するキュレーターが、時には執筆関係者への取材を交えて、分かりやすく解説します。

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