「今の防水業界がこれでいいのか」「いい仕事をすること、社会的貢献をすることと、防水工事で利益をあげることは両立すべきだ」と考えるあなたに!

2012年11月28日 号(№123)

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2012年 霜月しもつき 平成24年、昭和87年、大正101年、明治145年

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第39回水コンペ。1等は水野・越後組

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第39回日新工業建築設計協議会(通称・水コンペ)の表彰式が、11月14日東京六本木の国際文化会館で開催された。このコンペは総合防水メーカーである日新工業㈱が新建築社の後援と、馬場璋造氏のコーディネートにより39年前から実施している最も歴史あるデザインコンペの一つ。表彰式は例年旧岩石邸・国際文化会館で行われる。>>つづきを読む

銅センター広報誌が東京駅屋根工事を特集

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全国の銅板工が呼び寄せられた
次の百年をめざして~蘇った東京駅
社団法人日本銅センターの広報誌「銅」174号(2012年9月20日発行)にJR東日本・建設工事部小澤成昭課長と鹿島建設建築技術部高村功一技師長の取材記事が掲載されている。>>つづきを読む

黒門の瓦屋根と表慶館の銅板ドーム屋根

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重文旧因州池田屋敷表門(黒門)の瓦屋根の向こうに重文国立博物館表慶館の銅板ドーム屋根が見える。>>つづきを読む

絵日記

新着ニュース

2012/11/24 絵日記 国際文化会館の紅葉new
2012/11/23 アーキニアリング・デザイン展2012new
2012/11/22 第42回熱シンポnew
2012/11/21 マザーKKによるノアの方舟 その3new
2012/11/20 韓国世界遺産「わらぶき屋根危機」NHKが朝のニュース放映new
2012/11/20 職人の習い事
2012/11/18 第39回水コンペ。1等は水野・越後組
2012/11/17 銅センター広報誌が東京駅屋根工事を特集
2012/11/14 黒門の瓦屋根と表慶館の銅板ドーム屋根
2012/11/14 大根の芽
2012/11/13 シーリングの性能設計でシンポ
2012/11/13 秋は今日まで。
2012/11/11 鶴川絵日記 茶畑上空
2012/11/09 都市における熱環境に関する最新の研究事例
2012/11/07 むべ 近江神宮に献納
2012/11/04 桧皮葺に銅の樋
2012/11/01 スカイツリーのシーリング
2012/10/31 耐火・耐風、外壁の品質向上などへの取り組み報告
2012/10/29 長月十五日。黒川(多摩)の月
2012/10/29 建築学会が「陶磁器タイル張り工事」改定で追加講習会
2012/10/30 ツタンカーメン展と防水の接点
2012/10/24 少しずつ瓦がのっています
2012/10/23 ライト様式のテラコッタにも触れます
2012/10/23 「霜降」の朝、「武相荘」の森にかかった虹
2012/10/20 深川不動尊の銅板屋根
2012/10/18 樹齢100年の禅寺丸と茅葺き屋根
2012/10/17 防水材料別施工実績(JWMA発表2012年上半期)
2012/10/15 平成24年度 建設マスター顕彰
2012/10/12 UR都市機構 10.30に研究報告会
2012/10/11 秋の銀座 夜の紅葉
2012/10/11 京都府庁旧本館
2012/10/08 伊勢神宮 正殿の茅葺き屋根
2012/10/08 「板金いま、むかし」ルーフネットで転載中。
2012/10/06 屋根が無いから、屋根のことを考える
2012/10/05 正倉院の防水用屋根下ルーフィングはサワラの土居葺
2012/10/04 ツタンカーメンと防水の接点 ③
2012/10/02 平成23年中にサッカーコート 34面分の屋上が緑化整備
2012/10/01 正倉院正倉の校倉(あぜくら)
2012/09/30 「板金いま、むかし」ルーフネットで連載開始。
2012/09/28 十三夜

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職人の習い事

美人のお師匠さんの稽古場で先輩から行儀・礼儀作法を学んだ。

夜の東京駅
東京駅の真新しい銅板がライトアップの光を効果的に集める。向かいの丸ビル、新丸ビルのレストランの窓際の席は連日予約で満席。(2012.11.13。17時撮影)

「施工と管理」からの鴨下インタビュー転載は、今回で8回目。この回は技能ではなく職人の芸事・習い事の話。新内、小唄、清元…。職人達は稽古場で礼儀を学んだ。「これに合わせてカット写真は芸の仏様で行こう。ならば美しい伎芸天の秋篠寺!」と思ったが、残念ながら秋篠寺の屋根は瓦葺。伎芸上達を願うなら弁財天。三大弁財天といってもいろいろと説はある。でも竹生島、宮島、江ノ島の3つなら文句はないだろう。江戸の職人鴨下松五郎ならこの中では江ノ島だ。有名な裸弁財天を祀る六角堂の屋根は銅板葺き。やっと繋がった。今回はとりあえずの写真だけご紹介。今後素晴らしい銅板屋根コメンテーターの協力がえられることになったので、改めて、気合を入れて撮影し江島神社の屋根を紹介します。

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江島神社六角堂の銅板屋根。

板金いま、むかし -鴨下松五郎氏に聞く- ⑧

忙しいから習えるお稽古ごと

 昔の職人は、清元なり新内なり小唄を習うという習慣がありました。宴会になると飲んだり、食ったりするだけではなく、三味線が必ず入りましたから何か唄わなきゃいけない。それでお稽古にかよう人が多かったし、そういう趣味を持っていた職人さんが沢山おりました。特に左官屋さんに多かったですね。うちの近所に銭湯があったんですが、私の子供の頃、そこに左官屋さんの唄自慢が集まっていました。お湯に入っているとそれはうるさいんです(笑い)。小唄でしたね。親父は「左官屋は暇だから」なんて言ってましたが、こういうお稽古ごとは、暇だから習えて、忙しいから習えないというものじゃないんです。忙しいからこそ習えるもんです。

 私も20歳のころから週に3回、仕事を何とかやり繰りして芳町のお師匠さんのところへ清元を習いに行くようになりました。芸事は礼儀にうるさかった。先輩がいますから挨拶から始まって、稽古の最中は正座です。そのせいか私は未だに胡坐(あぐら)がかけない。正座なら何時間でも平気ですが、胡坐は駄目。自動車なんかのリクライニングも駄目。

 それから昭和11年頃まで新内を習いに行ってました。このお師匠さんは、岡本文弥さんという100歳で今でも現役の新内の方の三味線を引いていた人でした。この稽古場は団子坂にありました。

赤いインディアン

 団子坂は馬喰町からは遠くて、通うのが大変なんです。その為だけではないんですが、免許を取りました。当時は黄色と緑の2種類の免許がありましたが、側車(サイドカー)以外は4輪車も含めて黄色でだいたい乗れました。それで黄色の免許を取ってオートバイに乗るようになりました。当時、神田にいた野丁場の方で赤間さんという人が、赤いインディアンというオートバイで現場回りをしていた。これが恰好良かったんです。憧れましたね(笑い)。私が知っているかぎりでは板金屋でオートバイに乗ったのは赤間さんが初めてだと思います。

 当時は国産のオートバイはなくて、そこで外国製のインディアン、ハーレー、トライアンフというオートバイを時間借りして乗っていました。自分でも買いたいんですが、小型のハーレーでも確か四千円くらいしてましたから、なかなか買えない値段でした。赤坂にハーレーの今で言うディーラーがありまして、そこに行っちゃ「ほしいなあ」と思って見てました(笑い)。

 そうこうしているうちに宮田自転車がオートバイを国産で売りに出しました。4気筒のものです。普通のやつが400円。スポーツタイプが420円だったと思います。すぐ買いました(笑い)。スキーの板が6円、手縫いのスキー靴が15円、自転車が6円、リヤカーは結構高くて12円ぐらいしてました。その頃のことです。スキーも昭和6年頃から始めました。越後湯沢に行くんですが、上野を11時過ぎの列車に乗って、湯沢に着くのが朝の4時。旅館は当時「湯沢ホテル」くらいしかありませんでした。他には今でいう民宿と朝日新聞の寮があった程度です。その「湯沢ホテル」は普通のお客が泊まると2円、ところが何故かスキー客は1円50銭。安く泊めていただいたから一生懸命スキーをしたかというと、夜は芸者をよんで宴会、昼間はその芸者に玉付けてスキーを教わっているんだから、ろくなスキーじゃなかったですよ(笑い)。

(つづく)

2012/11/20(火) 00:06:21|屋根|


「BOUSUIデジタルアーカイブ」防水歴史図書館

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我が国の防水の歴史を考察する上でどうしても欠かすことのできない文献が何冊かあります。
防水歴史図書館(BOUSUIデジタルアーカイブ)では、そんな文献を1冊ずつ選び、本が書かれた当時の様子、おもな内容、その本のどこが「すごい」のか、現在生きる人たちにとって、どんな価値があるのか、それぞれの資料を担当するキュレーターが、時には執筆関係者への取材を交えて、分かりやすく解説します。

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