「今の防水業界がこれでいいのか」「いい仕事をすること、社会的貢献をすることと、防水工事で利益をあげることは両立すべきだ」と考えるあなたに!

2011年9月5日 号(№62)

2011年9月5日 号(№62) 画像の説明

2011年 長月ながづき 平成23年、昭和86年、大正100年、明治144年

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アスファルトはプラスチックスである

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人類の石油利用はアスファルトをプラスチックス(可塑性物質)として利用した原始社会にさかのぼる。…「日本石油百年史」より
「アスファルトは最古のプラスチックスである」という事だ。
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全アロン防水組合30周年総会。講演会は本橋健司教授

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東亞合成が製造するアクリルゴム系塗膜防水材の責任施工団体である全アロン防水組合が8月26日、滋賀県大津市の大津プリンスホテルで定時総会開催。挨拶する杉本憲央理事長。
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防水の歴史を語る幻の画 初公開

小堀チラシ表-2

佐野市立吉澤記念美術館で 10月1日 本邦初公開
小堀鞆音 没後80年 展
平成23 年10 月1日(土) ~11月13日(日)
佐野市立吉澤記念美術館
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2011秋。日本建築学会大会 懇親会

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JWMA主催 建築学会大会 懇親会
2011年8月23日から25日まで、東京早稲田大学を会場に日本建築学会大会が開催されている。 初日の23日午後6時、新宿ワシントンホテルで、JWMA(一般社団法人日本防水材料連合会)主催による懇親会が開かれた。>>写真を見る

絵日記

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2011/07/11 燃える土・水献上

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お待たせ!!新宿中央公園・十二社(じゅうにそう)が見た600年②

十二社(じゅうにそう)のスーパー緑化防水の続編をアップする前に、もう一度江戸時代にタイムスリップして見ましょう。

1860十二社 菖蒲の図

十二社の碑
熊野神社看板より

現在超高層ビルが林立する「西新宿」。このあたりは江戸時代「角筈村」と呼ばれた。都庁を抜けると新宿中央公園。その西外れがかつて「十二社(じゅうにそう)」と言われ、今でも「熊野神社」がある。この周辺に多くの滝と大きな池があった。江戸時代は遊興の地として錦絵に描かれ、江戸の古地図にも掲っている。しかし、今ではその面影はまったくない。「角筈」の地名は現在交差点名として残っているだけである。
「十二社」はマニアが多い。権現の滝について詳細に述べているのは、江戸末から明治初期にいた噺家三遊亭円朝作の「怪談乳房榎」という話があって、ちくま文庫に収録されているそうだ。
http://kkubota.cool.ne.jp/juunisou.htm

さらに「東京の水」さんの
http://tokyoriver.exblog.jp/12453676/
も楽しいですね。

新宿(変)の位置(中央公園右半分)   新宿(変)地上建物外観

新宿(変)制御室入り口  新宿(変)階段入り口

写真説明:上段左/変電所の位置(中央公園右半分)、右/変電所地上建物外観
     下段左/制御室入り口、右/変電所階段入り口

(昨年の座談会より)
古谷:奥山さんにお世話になって五年目かな。あの頃、電力の、東京の使用量がね、右肩上がりで、あっちに変電所、こっちに変電所つくらないと間に合わなかった。新宿西口が大都会になるんで、そこに供給する電気だって。 それで、突貫ですよ。泊り込みでね。夜、電気つけて。本当は、夜やっちゃいけないんですよ、アスファルトの場合は黒いからね。黒いもの扱うから。夜は絶対に仕事するなって、菊五郎さんあたり、先輩から言われてた。なにしろ目が、ちゃんとした仕事できないって。仕方なくライトつけてもらって。平米数だけでも100メーター四方ですからね、一万平米あるわけですからね。…

この様子を古屋さんは「プルーフ」(現在休刊)に『わが社のプロジェクトX』として投稿していた。出版元の久保賢次編集長の許可を得て以下、転載します。

『わが社のプロジェクトX』

奥山化工業㈱  古屋 隆司

日本が戦後の混乱期から立ち直り、東京オリンピックの開催を翌年に控えた、昭和三十八年新宿西口再開発事業として、淀橋浄水場跡地に副都心建設が計画された。其の為の電力供給施設として、現在の新宿中央公園の地下約十六mに変電所が計画され、その防水工事を当社で担当させて貰った。

昭和四十年春に㈱大林組で着工され、縦横約百五十mで地下五階の建物規模だった。

逆打工法が採用され、防水施工床が最初に現れたが、地下へと掘削を進めながら躯体を造るため、作業床とし最後まで使用された。

防水面積は合計約二万七千㎡、EXP部は約六百mの数量になった。

この工事量を期限迄に完了させるにはどうするか。耐土圧・防水の端末納め・EXPの位置・平面部立面部の仕様・伸縮目地など。               

東電建設所の大塚所長初め㈱大林組の吉沢所長や各担当の方々と、四十二年春頃から連日打合せに明け暮れた。当社も私自身にも未経験の工事内容が多く、諸先輩の指導と、技術資料等の調査研究に無我夢中で対処した。

半永久的に埋設される建物の防水層としては、アスファルト防水以外考えられず、材料も水中で腐食しない当社で製造しているカッパー防水帯(銅メッシュと合成繊維を芯にした特殊ルーフィング)を二層使用した東電A仕様絶縁工法(川砂を敷込む)に決った。防水層耐圧試験では㎡当り七十t迄耐えられる事が判った。端部の処理も、二重壁で梁幅が約二m位あるので、端部から五十㎝の内側に溝を設け、焼付け処理し外壁部へ五十㎝貼り下げた。埋め戻し後地上に出る階段室二棟と制御室の外壁仕様はテトカッパー防水帯(カッパー防水帯にテトロンフィルムを挟む)一層貼りで決定。立面部の入隅と屋上の駄目穴補強が耐圧の為約一m位の舞台となり入隅に銅板でL型とW型のEXPを取付け耐圧の為に四十㎝厚のコンクリで保護した。押えシンダーは三十五㎝厚になり、伸縮目地も幅五十㎜の目地材を三m間隔で取付けた。

仕様と施工方法が決定し、約四ヶ月の工期でどう完了させるかが問題だった。天候を考えると二万七千㎡を約八十日で終わらすには一日平均三百五十㎡の数量になるので、五班二十名位の作業員が必要になった。
工程を守るには腕が確かで、体力が有り無理が利く作業員の人選問題、アス防水は夜間工事が難しいので、照明設備を完備して作業を可能して貰った。全作業員とリーダーの笠間を交え、仕様及び工程等を綿密に打合わせし、近所の中華そば店を宿泊基地として着工した。現場は近隣対策の必要がなく、荷揚げ作業も少なく、天候に恵まれ、全作業員の頑張りで十一月中旬頃にほぼ完了させる事が出来た。東電及び大林組の全員が高さ約十六mの土砂を埋め戻して、上部に立派な公園を造る意気込みに満ち、総ての方が防水工事に全面的に協力して頂いた結果だと思われる。

現在地上は新宿中央公園に、建物は新宿区の各種センターとして、都民の憩いの場所となり、変電所が在るとは誰も気が付かない。
土砂埋戻中に山が来て、一分間に二㎝位土砂が動き、地上建物の足場解体が間に合わず埋め殺しになった事や、私事で恐縮だが、十一月末の結婚式休暇を大塚所長に申し出たら、証拠写真の提出を条件に許可された事などが思い出される。難工事を無事完成させた自信が、以後の現場作業に多いに役立った。

当社としても、東電と大林組が一番心配した工期の問題を解決し、無事故で水漏れ皆無で完成出来た事が、東電からの信用と信頼を得られた防水施工実績になったと思われる。

其の後日本経済が高度成長期を迎え、電力設備の拡充建設に協力参加する事が可能になり、防水工事受注に多大な貢献を為した。

三十八年も前の『プロジェクトX』だが、今も夢を見る忘れられない工事記録である。 

月刊『プルーフ』(工文社)2005年9月号 Vol.20 No.232 


「BOUSUIデジタルアーカイブ」防水歴史図書館

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我が国の防水の歴史を考察する上でどうしても欠かすことのできない文献が何冊かあります。
防水歴史図書館(BOUSUIデジタルアーカイブ)では、そんな文献を1冊ずつ選び、本が書かれた当時の様子、おもな内容、その本のどこが「すごい」のか、現在生きる人たちにとって、どんな価値があるのか、それぞれの資料を担当するキュレーターが、時には執筆関係者への取材を交えて、分かりやすく解説します。

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