「今の防水業界がこれでいいのか」「いい仕事をすること、社会的貢献をすることと、防水工事で利益をあげることは両立すべきだ」と考えるあなたに!

2011年3月20日 号(№39)

2011年3月20日 号(№39) 画像の説明

2011年 弥生やよい 平成23年、昭和86年、大正100年、明治144年

画像の説明画像の説明

東北地方太平洋沖地震 3月11日14時46分 マグニチュード9

東京工業大学田中享二教授の最終講義が行われた3月9日の当日と翌日に速報をアップ。翌3月11 日詳細記事を書いていた正にその時、M9。観測史上最大という東日本大震災が発生しました。
東京の被害は少なかったのですが、偶々揺れの激しいビルに本部を置くルーフネット編集本部は、ほぼ2日間機能停止しました。その影響で最終講義の記事の発信が数日遅れていますが御容赦ください。
田中先生は阪神淡路大震災の後、被災地をまわり、防水層の損傷具合を丹念に調査・報告されたことを想い出しました。
被害の大きさに言葉がでません。被災された皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。

なぜ防水メーカーがソーラーシステムを販売するか?

太陽光発電システム施工展で聞いてきました。ビッグサイトで3月4日まで開催。

画像の説明

「ソーラー発電システム」のマーケットが急伸中。しかし漏水トラブルも急増。既設屋根にシステムを設置する場合に限れば、さらに漏水クレームは目立ってくる。その怖さを知り始めたソーラーパネルメーカーや工事会社は露出防水の物件への営業を、躊躇する傾向も見えるという。だからこそ屋根を知り防水層を熟知する防水メーカーが、防水と一体化したソーラーシステムを展開することのメリットは大きい。しかしソーラー市場において防水メーカーが受注する割合は2割には届かない。まだ10%を越えた程度だ。今回の展示会に防水メーカー5社がそれぞれの工法を出展している。会場でその特徴と今後の方針を聴いてみた。>>全文を読む

琵琶湖水路閣改修調査検討委員会石田委員長のお気に入り

画像の説明

建築家、武田五一(1872~1938)設計の藤井有鄰館
京都工芸繊維大教授、石田潤一郎さん(57)は大学生だった頃、京都市内に残る設計の建物を調べたそうだ。1970年代、近代建築についての研究は少なかった。取材の結果、京大時計台(左京区)、府立図書館(同)、関電京都支店(下京区)、京都市役所(中京区)……。83年までに37軒を確認した。京都観世会館隣りの藤井有鄰館もその一つ…全文を読む

絵日記

画像の説明 画像の説明 画像の説明

画像の説明画像の説明

新着ニュース

2011/03/19 「大震災でも売れ行きは変わりません」new
2011/03/16 先生 これからは? new
2011/03/15 コルビジェが目指した船と建築 大震災で期待の対談は延期new
2011/03/14 「1000年もたせる」って、どういう事?new
2011/03/08 琵琶湖水路閣改修調査検討委員会石田委員長のお気に入り
2011/03/04 ルーフネットの重点項目「躯体保護と防水」とは
2011/03/02 なぜ防水メーカーがソーラーシステムを販売するか?
2011/03/01 ウレタン防水材出荷量5万トンに迫る勢い
2011/02/28 クリーン作戦で日本橋はピカピカ。ところでひび割れ対策は?
2011/02/26 トンネル漏水問題を考えるシンポジウム
2011/02/25 「小柴昌俊科学教育賞」と「子どもしぜん科学大賞」のとても深い関係について
2011/02/25 屋上緑化で平成の平賀源内に学びます
2011/02/20 詩になったアスファルト ~~瀝青の鏡~~
2011/02/19 コルビジェとノアの方舟と防水
2011/02/17 「水コンペ」の受賞作品をじっくり見て、来年は100万円獲得を目指せ!
2011/02/17 私たちが作りました。ドライバー40の物語。
2011/02/16 「日本アスファルト物語」後書き、年表、奥付け
2011/02/14 「日本アスファルト物語」の前書きと目次
2011/02/13 火災の消火で漏水どころか天井まで落ちてきた・続
2011/02/12 南禅寺を貫く琵琶湖疏水水路閣のひび割れからの漏水によるつらら
2011/02/10 火災の消火で漏水どころか天井まで落ちてきた
2011/02/10 大正3年刊「日本石油史」で初見? 小堀鞆音の燃土燃水献上図
2011/02/09 「塚田秀鏡」はなぜ「燃土燃水献上図」を彫金作品に写したのだろう
2011/02/03 節分の夜
2011/02/03 リフォーム工事受注最新統計
2011/02/03 「燃ゆる土とは天然アスファルト」と明記
2011/02/02 花街で文化・しきたりの動態保存
2011/02/01 水路閣のひび割れに ツララ
2011/01/31 琵琶湖疎水 水路閣漏氷?
2011/0130 KRK合成高分子ルーフィング工業会 新年会
 :
以前の更新情報はこちらをクリック!


ルーフネットの重点項目「躯体保護と防水」とは 

超サステナブル建築と防水 ②

百年・二百年建築、千年建築の「防水」をどうする?
~Dr.田中享ニの「躯体保護と防水」セミナー~

田中享二東京工業大学教授が、全国アロンコート・アロンウォール防水工事業協同組合総会(2010年8月27日、品川プリンスホテル)で行った特別講演「超サステナブル建築と防水」の記録を5回に分けてご紹介しています。今回は第2回目です。

「1000年もたせる」って、どういう事?

スライド6

 次に建物の寿命のことです。これは少し古いデータですが、東京の建物(オフィスビル)の寿命を早稲田大学のグループが調査研究してくれた、貴重なデータです。
 1994年の調査の時点ですが、東京都区内ですと平均35年、40年弱ということです。東京の中心地ですので、建物がぼろぼろになったというよりは、オフィスとしての機能が満足でなくなったことが多いと思います。そういうことも含めて、建物の寿命は30~40年ということです。
 その後、これに類する調査がいろいろなところから出ましたが、40年かそれくらいであります。これで、少しまずいということです。

スライド7

 先ほどの研究発表は1994年ですが、1997年頃から急に日本の建物の寿命の短さが強調され、これはまずいということで、建築学会長名で「建物の炭酸ガスを30%減らして、建物の耐用年数を3倍にしよう」というスローガンが出されました。
 建物の平均寿命は35年ですから、3倍で約100年になります。そこで、「100年の建物をつくっていこう」ということになった訳です。研究も実務もその方向に向かおうということを、学会として宣言したわけです。
 それと、ちょうどリンクするような形で、国交省は住宅の品質確保法の促進等に関する法律、俗称「品確法」といわれる法律をつくりました。その中で、耐久性の重要性を指摘して、これからは3世代くらいを担保するような建物をつくっていかなければならないと示しています。3世代とは、ざっと90~100年くらいになります。
 そういう意味で、「100年はきちっとやれ」という方向になったということです。
 100年きちっと担保できれば、十分ではないけれど、国民の大方の方はそんなものだと言ってくれると思います。その後さらに「200年住宅」という構想が出てきました。200年というのは結構きつい技術です。また、年数も少し中途半端なため、行政は200年という言葉を省き、長期優良住宅ということで、制度を昨年度スタートしました。全体として、明らかに「長寿命化」という方向に向かっています。

田中スケールによる

スライド8-2

 ここからが私の話ですが、建物の寿命をどのように考えればいいかということを示したものです。
 建物は何年もつか。建物の耐久性関係の委員会の委員をさせられていますので、当該の建物に耐久性があるかを判定しなければならないことがあります。例えば鉄筋コンクリートですと、中性化を計算して、この建物は97.5年持ちますと云って、半端な数字を出してくる人がいるのですが、厳密な計算結果よりはどの程度くらいかが重要です。寿命が201年とか202年とか半端を言われても困ります。対数目盛くらいが良いのではないかと考え、対数目盛で建物の寿命を分類してみました。
 今、つくっているのは、学会宣言では100年くらい、、イギリスの住宅で100~110年くらい、アメリカで80~90年くらいだったと思いますが、いずれにしても、人の一生のイメージのように思います。そのため今つくろうとする建物は、生まれてから死ぬまでということで、「人生レベル」と名づけました。人の一生くらいということです。
 もちろんそれ以外の建物もたくさんあります。短いほうからお話ししますと、10年以内で壊すというのも、それなりにあります。ある一つの時代をつくっていく、デザインの潮流だとか、はやりとか、10年くらいで終わるので、10年位なら風俗関係の建物かなということであります。
 今日も午前中、中国からお客さんが来てくださり、上海万博のお話を伺ったのですが、博覧会レベルだと数カ月から1年くらいかと思います。
それから、私の子どもの時は神社のお祭りがありました。子どもにとってはそれなりに大きなイベントでしたが、その時には、サーカス小屋ができたりしますので、もっと短時間の建築、数日の建築もある。そういうのはお祭りのレベルかなと思います。
 これからお話ししようとするのは、100年超え建物です。100年を超えたら、中学校あるいは高等学校の歴史を思い出してもらえばいいと思いますが、「○○時代」という時代がつきます。そうすると、建物とワンセットになって文化がついてまいります。そうすると、数百年のスケールで考え始めますと、当然「文化とリンクする建築」になってくるわけです。建築史で、安土桃山時代の建築とか、江戸初期とかを習いますが、そのようなくくりです。
 今日、お話しようとしているのは1000年までで、そこから先は、インダス文明とかメソポタミア文明とかという文明のレベルなので、さすがにこれは枠外にします。
 もちろん、人類はもっと昔からいますので、そこは考古学といってよいかもしれません。
 こういうことを調べますと、これからは人生のレベル、文化のレベルの建物を作らなければならない、強く感じるわけであります。

1000年間使い続けること

耐用性(serviceability)が1000年ということ

 ところで1000年レベルの建物は、1000年使ってさえいればいい、ということではありません。何らかの形できちっと使えて、その期間が1000年だ、ということす。専門的には、「耐用性、サービサビリティ」という言葉がそれに対応します。サービスというのは、建物ができ上がって、それを実際に使っている状態を云います。だから皆さんに話しを聞いていただいているこの建物は、我々に対してサービスしてくれているわけです。これが「耐用性」の意味です。
 これが非常に重要なコンセプトです。重要なのは「使って1000年だ」ということです。

そのためには…

(1) 劣化に耐えること

(2) 位相差にたえること

社会的、経済的変化に追随する。

空間要求水準変化に追随する。

 そのためには、2つのことが必要だと考えております。
 ひとつには、まず建物が劣化に耐えることです。基本的には、そもそも物理的な存在として建物がなくなりますと、これはサービサビリティ以前の問題になりますので、とにかく建物をつくったら、それが数世紀にわたって頑張ってほしいということです。これが劣化に耐えるということです。
 2つ目は、位相差に耐えることです。位相差を生じさせるものは何かと言いますと、1つは社会環境です。建築は、も物理的な存在ですが、先ほどお話ししましたように、社会と一体となって、日々生きているものです。そういうものに、きちっと追随していかなければなりません。
 それと、経済的な側面もあります。一般に商業建築は特に経済性が要求されますし、土木的施設の場合には社会性が強く関係する傾向があります。
 それから、空間の要求水準性能も変わります。少なくとも本日お集まりの皆さんが子供のときのオフィスビルの空間の性能と、いま皆さんが会社で日々仕事をやられているところの状況を考えたら、もう天と地ほど違うと思います。最近のオフィスの床はほとんど二重床です。ケーブルやインターネット類のラインは床を走らせるとかというように、空間の要求性能が大きく変わっています。
 要求水準が変わったのに、建物が元のままですと、結局そういうものに追いつかないので壊してしまおう、ということになってしまうわけです。そういう社会とか経済の変化とか、あるいは我々自身の建物性能にたいする要求水準の高度化に対して、建物が追随してゆかなければなりません。建物はそういう宿命を背負っています。これに追随しきれなくなると、位相差が生じ、その位相差の分に負けてしまうと壊してしまおう、ということになるわけであります。
 そういう観点から、日本の超寿命建築をもう一回見てみようということを、数年前、研究室で大学の学生さんと一緒に作業としたことがありました。


日本にも超サステナブル建築はある。

 結論は、冒頭に申し上げましたように、日本にも超サステナブル建築はたくさんあるということです。それを少し見てもらいたいと思います。


伝統的な日本の建築の寿命

 それをどのように調べるかということです。幸い、建築学会には、私どものような建築の材料、工法、施工を研究しているグループ人以外に、建築の歴史を研究する方々もいらっしゃいます。そのグループが、いいデータベースをつくってくださっていました。

文献調査+ヒアリング(都内の建築)

『総覧 日本の建築』日本建築学会編、新建築社
  1. 北海道/東北 (1987)
  2. 関東     (1989)
  3. 東京     (1987)
  5. 東海     (1986)
  6-1. 滋賀・京都 (2000)
  6-2. 奈良・京都 (2002)
  8. 中国・四国  (1998)
  9. 九州・沖縄  (1988)

 この『日本の建築』という本は、北海道から沖縄まで、その地区の建築の歴史の研究者が調べて、それを地域ごとにまとめた本です。これをデータベースにして調べることにしました。
 また東京都内の建物は、直接現地に行って、建物の管理者に話を聞いたり、現地調査をするという作業も行いました。
 このなかのいくつかを紹介します。法隆寺の五重塔は607年ですから、もう1500年位の建物であります。
 奈良時代の正倉院の校倉造の有名な建物は、756年の建設で1000年以上経っている、ということです。
 10円玉の裏側に出ております宇治の平等院鳳凰堂は、平安の中期ですから、ちょうど1000年くらいです。

スライド14

 これは、最近私が撮った写真ですが、姫路城の本丸です。1600年、江戸時代の建設ですが、姫路城そのものは1300年代から築城が始まっております。
 たまたまこの写真を写した日は、中が見学できる最後の日であり、これから後3年から5年をかけて平成の大修理にかかるということです。徳川家康がここを豊臣方西国大名に対し睨みをきかせるキーステーションとして、気合いを入れてつくらせられたお城なんだそうです。
 お城のような大がかりな建物ばかりではなく、小さな建物でも結構残っております。例えば、京都の桂離宮は1600年建設ですから、400年近くたっています。
 近世の民家でも江戸のものはたくさん残っております。例えば、世界遺産に登録された、白川郷の合掌つくりは江戸の後期になります。
 建築だけではなくて、土木構造物もあります。特に九州は石でつくった橋がたくさん残っています。諫早の眼鏡橋は地震に強いということで、構造の人は非常に興味を持って見ていますが、江戸の末であります。
 明治に入ってからは、いわゆるお雇い学者を明治政府が雇用し、西洋に追いつけということで、西洋式のデザインの建物をたくさん作りました。例えば、司法省の建物があります。パブリックな建物以外には、横浜のレンガ街があります。

調査建物 : 4424棟

概要 : 建物名、施工年、築年数、所在地、設計者、施工者

建造物 : 回数、床面積、主体構造と材料、屋根構造と材料

用途

 調査は建築史学者の方々によりなされましたので、非常に精密です。そして有名な建物ばかりではなく、名もない建物も含まれています。全部で4,424棟の建物が掲載されていました。
 それで、我々はどういうことを調べたかと言いますと、建物の名前、築年数、建物の構造、そして屋根のことについてです。

スライド16

 その結果です。もちろん、現代に近づけば近づくほどたくさん残っているのですが、1000年を超えるのも結構ありました。500~1000年になると、500棟くらいは残っています。江戸からになってきますと、もう千数百残っています。今は明治から百数十年たっていますから、先ほど言いましたように、100年くらいの建物はむしろ新しいほうです。数世紀を経た建築が、日本にもたくさん残っていたことに改めて驚いたわけです。
 時々、「日本は木造建築だし、外国は石だから、日本の建築は寿命は短いと」言われる方がいますが、外国の建築だって、そんなに長いわけではありません。だから、材料のせいだと言ってしまうと、ちょっと誤解を招くかなと感じたわけであります。

スライド17

 それでは、どういう建物が残っているのか。これが重要です。そのため建物の用途を調べました。図をみてもらえばわかるように、真っ赤とブルーのところが圧倒的に多い。これらはいわゆる宗教建築です。
特に1000年を超えると、すべて寺院、神社仏閣です。今、日本に残っている木造建物の重要なものは、宗教建築が圧倒的だということが分かります。100年とか300年では、住宅が多く残っています。住宅といっても、豪商、豪農、名主さんとか、当時のお金持ちの人の家屋です。
100年となると明治の初期が入ります。ですから工場、灯台とか、西洋文化の影響を受けたものが入ってきます。それから少ないですが、お城も結構残っていることもわかりました。また学校も残っています。学校と云っても、江戸時代の藩校です。藩校は意外と多く残っています。
このように、一に宗教建築、二に権力と関係する建物、次に教育施設、それからお金持ちの住宅、大きくはこういうものが残っていることがわかってきたわけです。

スライド18

 次に、構造と用途が関係するかを調べましたが、一般的傾向は見出されませんでした。木構造、煉瓦造、鉄筋コンクリート、鋼構造といろいろ分けて調べましたが、どんな構造体でもいろいろな用途に使われています。

スライド19

 これは非常に重要です。かなりのものが用途変更されていることがわかりました。これを図中では、比で示しています。比ですので、木造は少なく見えますが、、母数が3,400と非常に多いので、なんと75棟が用途変更されています。煉瓦造は4分の1で26棟、鉄筋コンクリートは比では1/4ですが、実数は4棟でした。いずれにしても、用途変更がすごくされていることがわかったわけです。

用途変更例

木造
  学校 → 博物館
  住宅 → 郷土資料館、旅館

レンガ造
  市庁舎 → 図書館
  工場 → 博物館
  倉庫 → テンポ、レストラン

石造
  工場 → 博物館
  住宅 → レストラン

鉄筋コンクリート
  学校 → 博物館

 これは、その用途がどのように変更されているかを示したものです。
 木造の場合は、江戸時代の藩校は、博物館とかに転用されている例が非常に多く、住宅は、郷土資料館とか旅館とかに変更されている例くありました。煉瓦造の場合は、図書館とか博物館とか、最近は店舗とかレストランとかへの転用も多く見られました。
 いずれにしても、建物は途中で用途を変えながら生きている。今のところ残っているのは、博物館とか図書館とか、ややパブリックなものへの用途変更が多いのですが、最近は商業施設への変更が随分多くなってきています。
 これが、私が学生さんと一緒に1年間ほどかかって、先ほどの本をデータベースに克明にいろいろなことを調べた結果であります。

伝統的建築から読み取ることができる長寿命化建築の条件

(1) 劣化に耐えること

(2) 位相差にたえること

 こういう研究からわかってきたことが幾つかあります。それが冒頭申し上げたことと重なるわけです。

続く


「BOUSUIデジタルアーカイブ」防水歴史図書館

画像の説明

我が国の防水の歴史を考察する上でどうしても欠かすことのできない文献が何冊かあります。
防水歴史図書館(BOUSUIデジタルアーカイブ)では、そんな文献を1冊ずつ選び、本が書かれた当時の様子、おもな内容、その本のどこが「すごい」のか、現在生きる人たちにとって、どんな価値があるのか、それぞれの資料を担当するキュレーターが、時には執筆関係者への取材を交えて、分かりやすく解説します。

  • 主な収録項目

本サイトの内容の無断転載、および無断利用を禁じます。

powered by Quick Homepage Maker 4.8
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional