「今の防水業界がこれでいいのか」「いい仕事をすること、社会的貢献をすることと、防水工事で利益をあげることは両立すべきだ」と考えるあなたに!

2013年2月10日 号(№133)

2013年2月10日 号(№133) 新月

2013年 如月きさらぎ 平成25年、昭和88年、大正102年、明治146年

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社会資本の老朽化対策会議設置

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各種インフラが建設後50年以上を経過する割合
国土交通省ではインフラの戦略的な維持管理を全省挙げて取組むための体制として、1月21日に太田大臣を議長とする「社会資本の老朽化対策会議」を設置した。>>つづきを読む

全アロン防水組合新年講演会・賀詞交歓会

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関東支部の売上好調 前年比200% アクリルゴム系塗膜防水
全国アロンコート・アロンウオール防水工事業協同組合(略称・全アロン防水組合)関東支部(川上一三支部長)は1月23日東京と港区・メルパルク東京で賀詞交歓会を開催した。
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日本金属屋協会新年会

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新春講演会は田勢康弘氏の
「安倍政権で乗り越えられるか日本の危機」。

3年連続登場の田勢さんは、独特の語り口で、表に現れてこない政界と世界経済の潮流の一面を語った。>>つづきを読む

コスミック工業会今年も余興は落語で新年会

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「お酒」とかけて、「アスファルト」ととく。
その心は「熱くても常温でもいけます」
「ここはウレタン塗膜防水の会だぞ~~~!」なんて野暮な声はかからず拍手をもらいました。>>つづきを読む

南禅寺を横切る水路閣のひび割れ報告書

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水路閣の監視調査で中間報告
京都市上下水道局は、平成20年7月に水路閣の橋脚にひび割れが発見されたことから、緊急防護工事と詳細調査を行うとともに、平成22年1月には「水路閣改修調査検討委員会」を設置し、修復方法等の検討を重ねてきた。その結果、平成23年7月に「水路閣改修調査検討委員会報告書」を取りまとめた。>>つづきを読む

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銅板屋根工事の生き字引、斉木益栄さんのお話が始まります

斉木益栄さん

雪割り大根
雪割り大根2013.1撮影。写真は記事とは関係ありません。

※ ※ ※

昭和の初め、神社仏閣や公共建築を除くと、都市圏の一般住宅の屋根は瓦、山村では茅葺き、板葺き屋根の家が一般的でした。今回登場する斉木益栄さんは、昭和7年、新潟県の十日町から3里ほどの山村で木羽(こば)葺きの職人の家に生まれました。昭和23年に尋常小学校高等科を2年で終えて親方に弟子入り、ルーファーとしての歩みを始めます。

日本では昭和27~8年ごろ、トタンが市場に出回わってきました。木羽と比べてトタン葺きの作業効率は5倍以上。さらに木羽に割れるような良い木も減ってきたので、屋根は急激にトタンに変わっていきました。

そんな時期に出稼ぎで上京、板金の仕事を覚えてゆきます。屋根を葺くという作業を知りつくした斉木さんは、長年にわたり(株) 小野エ業所の技術部門の責任者をつとめてきただけでなく、日本銅センターや日本建築学会において銅板屋根に関するマニュアルや仕様書の作成も担当してきました。小野工業所は多くの板金技能士を育成し、また同社が最も得意とする社寺建築の新築屋根をはじめとし、歴史的重要建築物の史実に基づいた屋根修復、改修エ事にも数多く携わってきました。

その斉木さんに、社団法人日本金属屋根協会の大江源一編集委員長は、銅板屋根をめぐって印象に残る建築物や出来事についてインタビューしました。その話は機関誌「施工と管理」に掲載されました。これから6回にわたって転載します。

2013/02/02(土) 09:10:32|屋根|

銅板屋根とともに(上) その①

銅板屋根とともに①_ページ_1-1

銅板屋根とともに①_ページ_1-2-4m 銅板屋根とともに①_ページ_1-2-3

(右の画像はクリックすると拡大します)

今回お話をお聞きする斉木さんは、長年にわたり(株) 小野エ業所の技術部門の責任者をつとめてきただけでなく、日本銅センターや日本建築学会において銅板屋根に関するマニュアルや仕様書の作成も担当されてきました。その斉木さんに銅板屋根をめぐって印象に残る建築物や出来事についてお話をうかがいました。

最後の世代 

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私は新潟の川西町、ここは十日町から3 里ほど山の中に入った所で昭和7 年に生まれました。もともとは木羽(こば)葺きの職人です。昭和23 年に尋常小学校高等科を2 年で終えて親方に弟子入りしました。学制の切り替え時期で、高等科に3 年行っていれば中学校卒業ということになったんですが、弟子入りが決まっていたので2 年で卒業してしまいました。実は、私の父と師匠は支那事変の戦地で戦友でした。お互いに元気で復員したら俺のせがれを弟子にしてくれという話し合いがあったそうです。それで私の職業が決まりました。その頃は、こんなことで人の職業がきまっていたのです。

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木羽の職人は私らの年代が最後だと思います。また、本当の丁稚奉公をしたのも我々まででしょうね。弟子人りして3 年間は、お盆と正月に小遣いをもらうだけで、あとはタダ。親方の家には女の子もいたのですが、何故か雑巾掛けはさせられるし… そういう生活でした。

年季を終えるとお礼奉公が1 年間。また、タダで働きます。都合4 年が修業期間でした。5 年目になると他の親方 のところへ修業に行きます。まあ、一人前になるには5 年掛かりましたね。うちの親方の本業は木羽なんですが、トタンの仕事もやっていました。ちょうど仕事が変わり行く時代でしたね。

木羽葺きは柿(こけら)葺きのような高級な仕事ではなく、板葺きのような感じでした。2 寸5 分から3 寸の葺き足で重ねていくやり方です。材料の板は木材を尺2 寸の長さに切って、これを手で割って作ります。手割りですから板の厚さも1 分はありました。手割りの作業は、山の中に小屋掛の作業場を作り、そこに泊り込んだ事もありました。出来上がった製品だけ山から持ってくるやり方です。今じゃ考えられないような生活でしたね。

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木羽葺きの屋根といっても、厚さが1 分程度ある尺2 寸の板で2 寸5 分しか外に出ないようにしているので、5枚重ねになります。ですから長持ちするんですよ。だいたい25 年から30 年は持ちますね。昔の家は薪を使って天井裏に煙が回るようにしていましたから、なお更ですね。

屋根を全部木羽で葺くやり方と屋根の周囲だけを木羽で釘止め葺き… 銅板の腰葺きと同じです… それ以外は石載せという葺き方をする場合がありました。これは板の上にタルキを置いて石を載せただけのものです。柏崎など海辺のほうで多かった葺き方です。この石載せの屋根では2 年に1 度木羽返しといって、板を全部ひっくり返して、外に出ていた部分を中に入れるという作業をします。

木羽からトタンへ

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昭和27 年から28 年ごろから急にトタンが出てきました。急激にトタンに変わっていったという感じです。当時のトタン葺きでは普通の民家の屋根を2 人の職人で10 日もあれば終えることができましたが、木羽ですと職人2 人でだいたい1 ヵ月半から2 ヵ月掛かります。この辺の理由が一番大きかったと思います。だんだん人間が忙しくなってきましたし、木羽に割れるような良い木を探すのも難しくなっていましたね。

初めて東京に出てきたのが昭和27 年です。冬働き(冬季の出稼ぎ)でした。この時はトタンをやっている業者を知らなかったので材木屋さんに二冬お世話になりました。

この材木屋さんは本郷の新花町(現在の湯島2 丁目)にあったのですが、その隣がたまたま板金屋さん。その板金屋さんに「あんた、(板金の仕事をしてたんなら)もったいないよ」と言われたんです。これが始まりです。でも、隣に行くわけにいかないから(笑)、あくる年の冬に(東京)調布の国領にある板金屋さんに出てきました。

この板金屋さんは屋根葺きは一切やっていませんでした。鬼専門です。私なんかは樋を掛けるとかそんな仕事が中心でしたが、たまに鬼を叩かせてもらえる。亜鉛めっき板の鬼ですから、私なんかが叩くとめっきが剥がれるんですよ。親方が叩くと全然剥がれない。不思議でしたね。亜鉛めっき鋼板といっても今のような冷間圧延じゃない。ホット材ですから、なお剥がれやすいのに親方が叩くと剥がれませんでしたね。

日本金属屋根協会機関誌「施工と管理」より転載

2013/02/03(日)00:44:24|屋根|

(つづく)


「BOUSUIデジタルアーカイブ」防水歴史図書館

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我が国の防水の歴史を考察する上でどうしても欠かすことのできない文献が何冊かあります。
防水歴史図書館(BOUSUIデジタルアーカイブ)では、そんな文献を1冊ずつ選び、本が書かれた当時の様子、おもな内容、その本のどこが「すごい」のか、現在生きる人たちにとって、どんな価値があるのか、それぞれの資料を担当するキュレーターが、時には執筆関係者への取材を交えて、分かりやすく解説します。

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