「今の防水業界がこれでいいのか」「いい仕事をすること、社会的貢献をすることと、防水工事で利益をあげることは両立すべきだ」と考えるあなたに!

2012年10月8日 号(№116)

2012年10月8日 号(№116) kagenn

2012年 神無月かんなづき 平成24年、昭和87年、大正101年、明治145年

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関東防水管理事業協組総会

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引田理事長再選 今年度目標は契約高百億円

関東防水管理事業協組(引田 孝理事長)は9月25日、東京・台場のホテル日航東京で、平成24年度通常総会を開催した。23年度は「環境改修」をキーワードに、防水改修に付加価値と独自性を持たせた営業展開によって、工事契約高93億6,700万円(前年同期比108.9%) を達成した。>>つづきを読む

ツタンカーメンと防水の接点 ②

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ライオン頭の女神はアスファルトで化粧する
ライオンの頭部をもつ女神の座像
高さ61センチ、幅17.2センチ、奥行き33.8センチ。十片の寄木に瀝青(アスファルト)コーティング。右目下頬が大きく欠けているほか、青色矢印部分は、下地の木、恐らくアメンヘテプ2世立像と同じであろう杉材がみえている。>>つづきを読む

リフォーム&インテリアショー

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第1回 リフォーム&インテリア2012。9月21日(金曜)から23日(日曜)まで ビッグサイトで
健康・安全・エコは資産価値向上につながるか?
そんなテーマの講演会が失敗のないリフォーム方法、資産価値向上といった幾つもの定番講演とならんで行われた。インテリアと並んで防水関係では渡辺物産、南海工業、等がソーラーシステムと組み合わせた防水改修の提案などを行っていた。
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絵日記

新着ニュース

2012/10/05 正倉院の防水用屋根下ルーフィングはサワラの土居葺new
2012/10/04 ツタンカーメンと防水の接点 ③new
2012/10/02 平成23年中にサッカーコート 34面分の屋上が緑化整備new
2012/10/01 正倉院正倉の校倉(あぜくら)new
2012/09/28 十三夜new
2012/09/28 正倉院正倉の軒先から東大寺と興福寺を見る
2012/09/26 関東防水管理事業協組総会
2012/09/23 ツタンカーメンと防水の接点 ②
2012/09/23 リフォーム&インテリアショー
2012/09/22 確かに東北新幹線は東京駅からでている
2012/09/20 黄金のマスクより興味深い瀝青の王と女神
2012/09/19 土木研究所 創立90周年記念講演会
2012/09/17 ツタンカーメンと防水の接点 ①
2012/09/16 東京駅ルネサンス
2012/09/15 紫式部色づく
2012/09/14 改修工事標準仕様書の方向性で討論
2012/09/13 正倉院の屋根ふき替え 雨漏り懸念で
2012/09/12 建築学会改修工事標準仕様書制定に向けて
2012/09/11 京都の建設新聞が燃水祭を大きく報道
2012/09/10 上野・黒門(旧因州池田屋敷表門)重要文化財
2012/09/09 スカイツリーの防水 ②
2012/09/04 防水メトロ 営団メトロは最近防水対策を熱心にPR
2012/09/03 31期全アロン防水組合総会
2012/09/01 「武相荘─秋」
2012/08/30 絵日記・ヤタイヤシ
2012/08/29 処暑の朝焼け
2012/08/29 ヒートアイランド対策大綱改定へのパブコメから
2012/08/28 材料施工委員会が左官工事小委員会委員を公募
2012/08/25 ビオトープなど長年の研究成果踏まえシンポ
2012/08/23 橋梁の超寿命化施策で国交省がアンケート
2012/08/22 スカイツリーの防水面積とシーリングの長さ
2012/08/21 平成24年度 建築改修投資見通しは8兆7千億円。
2012/08/17 今年の夏は新暦5月21日から8月17日まで。
2012/08/15 住宅紛争処理支援センターがコードレポート2012を公表
2012/08/14 法輪寺の月
2012/08/13 「水と緑による地域の再生」に防水はどう係わってゆく?
2012/08/10 ジョサイア・コンドルの博物館
2012/08/08 上賀茂神社の二葉葵
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「板金いま、むかし」ルーフネットで連載開始。

板金いま、むかし -鴨下松五郎氏に聞く-
「施工と管理」より転載。

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東大寺や東寺五重の塔、東京駅やスカイツリー…。建築という行為は今も昔も、まさに「匠」と言われる数多の職種の職人たちの絶妙な連係プレーによって紡ぎ出されてきた。1000年以上前から職種として確立していた大工や左官、屋根葺き職人たちだけでなく、ほんの100年前から登場した鉄筋工や防水職人等まで。どの職種も建築にはなくてはならないものでありながら、その社会的評価や目立ち方には随分開きがある。そんな中でも、NHKのディレクターは大工や左官といった昔から陽の当たる職種にくらべて地味だった職人たち、さらには檜皮師やクレーンのオペレーターといった超マイナーなプロフェッショナル達にピンポイントのスポットを当てて、ドキュメンタリー番組を制作する事もある。それでも陽の当たる順番の廻ってこないのが防水工だろう。

ルーフ=屋根をキーワードとするルーフネットのミッションは屋根と防水に関わる人の技術と経験、意地と根性と心意気を示すことである。このほど、気になりながら取り上げられなかった板金職人の技の記録を見つけ、紹介出来ることになった。それがこれ。まずは銅板屋根職人の鴨下松五郎さんだ。日本金属屋根協会は平成7年から4回にわたって、鴨下さんのインタビューを機関誌「施工と管理」に掲載した。今回金属屋根協会の許可を得て転載紹介する。

鴨下 松五郎 氏 (故人・平成13年4月14日逝去)
1907年(明治40年)生まれ。
勲六等単光旭日章、労働大臣卓越技能章、日本銅センター賞などを受賞。
聞き手:大江 源一 氏(当時「施工と管理」編集委員、現・広報委員長)

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板金いま、むかし -鴨下松五郎氏に聞く- ①

─ 鴨下松五郎氏に聞く(上)─

金属屋根の世界は「長尺」の素材が供給されるようになってから大きく変わりました。これは屋根の形式や技術だけでなく、業界で生活する人々の「暮らしぶり」にも言えることかもしれません。しかし、現在の金属屋根は「長尺」以前からの技術や経験、そしてその時代の人々によって育て上げられてきたものです。

そこで、今月は東京の業界の長老である鴨下松五郎氏に「板金いま、むかし」と題してお話をうかがいました。

※ルーフネット注:本稿は、(社)日本金属屋根協会機関紙「施工と管理」に平成7年4月号(No101)から4回に分けて掲載されたものです。板金業界初期の事情が良くわかるものとして好評を得ました。同協会の許可を得て掲載いたします。

トロ

 昔の話をして欲しいということなんで、まず材料の話から始めましょうかね。我々板金屋は昔は材料にそれは苦労させられましたから。これは皆さん聞いたことがあるとは思いますが、石油缶を開いたものをだいぶ使いました。石油缶はハンダで付けてありますから、それを火で温めましてね。口のところからポンポンと叩いて抜いて、切り開いて作ったものです。これを屋根や樋に使ったものです。

 開いたところは、ハゼがありますから樋などを作る際は「ふち巻き」は出来ませんでした。せいぜい「アダ折り」ぐらいしか出来ない。それと「口」に当たる部分、ここも使いました。「口」には穴がありますから、そこに細工をして穴を塞ぎましてコールタールを塗ってしまうんです。これを使って屋根を菱葺きにしました。当時は「天地葺き」と言っていました。既にコールタールが塗ってあるから、「雨が漏らない」ってことで、垂木に直接釘で留めていました。

 これは自分たちで作るんではなくて、専門に売っているお店がありましたから、そこから買っていました。東京の小伝馬町に「金物通り」という所がありまして、そこにあった「村山」さんというお店が専門に扱っていましたので、よく買いに行きました。店先に開いたものがうず高く積んでありましたね。

 もとは石油缶ですから、開いたままの物は油だらけです。その油の付いた物と洗ってきれいにした物と2種類を売っておりました。油の付いた物は「トロ」と呼ばれてました。当然洗った物のほうが高いわけです。3銭から5銭ぐらい違ってたんじゃないでしょうか。

厚さは、重さ

 銅板はメーカーでは「やまいち」今の古河さん、それから住友さんでしたね。住友の板は「ねばり」がありました。ですから「打ち込み」や「打ち出し」にはほとんど住友の板を使っていました。ただ、色はあまりよくなかったですね。銅板はやはり、小伝馬町にありました「栗谷」「山崎」「市川」といったお店が扱っておりました。

 今のような長尺は勿論ありませんから、12巾×4尺( 363 mm×1203 mm)15巾×42寸(455mm×1273mm)2尺巾×42寸(606mm×1273mm)といったサイズの物でした。「山崎」さんでは「菊富士丸板」といって1尺×12寸( 303mm×363mm)の銅板を出しておりましたね。これは「瓦板」と言われていました。

 厚さは40目(め)、50目、60目、70目、80目とありました。70目は今で言う0. 5mmぐらい、80目で0.4mmといったところでしょうか。80目はほとんど使わなかったですね。厚さは重さで現していたんです。昔は圧延技術が良くありませんでしたから、一枚の板でも場所によって厚さが違っていたくらいですから、厚さを正確に表現することが出来なかったんで、だから目方で現していたんでしょうね。ですから、買う方も1枚、1枚手で持ってみて、重そうな銅板を買ったりしていました(笑い)。

銅板を厚くみせる

 中には銅板の裏に紙を張って厚くみせているような物もありました。誰が考えたのか分かりませんが、これは始末に終えませんでしたね。裏にすぐ水が入ってきてしまいますから。少しでもいい物に見せて高く売りたかったんでしょうが、今から考えるとひどい物でした。

 もっとも、私らのほうも現場に言って「銅板を少しでも重く見せろ」ってんで、重そうに運んだり、板を折る時も「厚いものを折っているように見せろ」なんて言われてましたから、どっちもどっちかも知れませんが……(笑い)。何とかごまかして儲けようとして
いたんでしょ。これも板金屋のテクニックです(笑い)。

(つづく)


「BOUSUIデジタルアーカイブ」防水歴史図書館

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我が国の防水の歴史を考察する上でどうしても欠かすことのできない文献が何冊かあります。
防水歴史図書館(BOUSUIデジタルアーカイブ)では、そんな文献を1冊ずつ選び、本が書かれた当時の様子、おもな内容、その本のどこが「すごい」のか、現在生きる人たちにとって、どんな価値があるのか、それぞれの資料を担当するキュレーターが、時には執筆関係者への取材を交えて、分かりやすく解説します。

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