「今の防水業界がこれでいいのか」「いい仕事をすること、社会的貢献をすることと、防水工事で利益をあげることは両立すべきだ」と考えるあなたに!

鵜の羽葺きの小屋

鵜の羽葺きの小屋

産屋の屋根が葺かれるのを待ちきれなかった
鵜茅不合命(うがやふきあえずのみこと)

蚕の社P2080068
神武天皇のお父さん(ウガヤフキアエズノミコト)は鵜の羽で葺いた小屋で生まれました。
しかも全部葺き終わる前に生まれたんだって。

~「茅葺き」職人はもちろん「葺き屋根」関係者には興味があるでしょう。~
というメッセージが添えられて、本サイトのライター佐藤孝一氏から写真が届きました。

$RZK8KX9_20141212012621e73.jpg

鵜茅葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)を祀る、京都太秦・木嶋(このしま)神社、通称「蚕の社かいこのやしろ」の写真です。

$R9W3IQ4.jpg
檜皮の上に銅板の一文字葺き。

残念ながら本殿の屋根は鵜の羽でも、茅でもなく、桧皮の上に銅板が葺かれています。

$R704QKB.jpg

拝殿は桟瓦葺(さんがわらぶき)。大棟の鬼も下がり棟の鬼も立派なもので、ユニークなデザインです。

よく知られた海彦山彦の話から始まります。
失くした釣り針を探しに、海神が住む綿津見宮(わたつみのみや)へ行った山幸彦は、海神の娘豊玉姫(とよたまひめ)と出会い、3年間一緒に暮らします。そして見つけた釣り針を持って、山幸彦は地上に戻ります。山幸彦の子を宿した豊玉姫が地上で子を産むために亀に乗って後を追ってきました。

産気づいた豊玉姫のために急いで産屋が作られます。茅を集める間もなく、手近にあったのは海岸に棲む鵜の羽です。そこで鵜羽を茅がわりに屋根を葺き始めました。もっとも安価で手に入れやすい材料を使うのが葺き屋根の基本です。

豊玉姫は「出産の時は、見ないでね」と言って産屋に入りますが、屋根が葺き終わらないうちに子が産まれてしまいました。

この子供は鵜の羽の屋根を葺き終わる前に産まれたので、鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)という名がつきました。

さて山幸彦は、のぞいてはいけない産屋の中をのぞいてしまったのです。「のぞくな」と言われて、のぞいてしまうのは万国共通ですね。山幸彦が産屋で見たのは、美しい姫の姿ではなく、ワニの姿で子を産んでいるところでした。

山幸彦は大変驚き、恐ろしくなりました。 一方、豊玉姫は自分の本当の姿を見られたことを恥ずかしく思い、海底の綿津見宮に帰ってしまいました。その時、子供のために自分の乳房を引きちぎり、投げつけて帰ったそうです。おっぱいは、子供のために切り裂いて玉を入れられたり、引きちぎられたり、大変です。この時のおっぱいや、姫が乗ってきた亀は岩になっているそうです。

その後、豊玉姫は我子. 鵜茅葺不合命のことが気掛かりで、 妹の玉依姫(タマヨリ姫)を養育係りとして鵜茅葺不合命の元へ送りました。鵜茅葺不合命は成長して、叔母である玉依姫を妃として四人の皇子をもうけ、その中の四番目に産まれた子が 後の神武天皇になった。
というお話です。

鵜茅葺不合命を祀る神社は日本中にたくさんあります。佐藤氏が送ってくれたのは、たまたま彼が、ライフワークである「新年翁神事」めぐりの事前調査で、観世,金春の祖先と言われる秦川勝(はたのかわかつ)を調べるために京都太秦(うずまさ)の広隆寺や蚕の社を訪れて、見つけたからだそうです。

天皇につながる神は皆「稲」に関する名を持つが、鵜茅葺不合命だけが稲穂と無関係である理由とか、鵜茅葺不合命 を祀る神社のリストアップ始め「鵜茅葺不合命研究」のマニアックなサイトは多いので、興味のある方は、そちらをどうぞ。

ルーフネットでは屋根葺き材の話題として紹介しました。

蚕の社。木嶋神社。
嵐電「太秦」下車徒歩10分。地下鉄「太秦天神川」下車、徒歩5分。

木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)
この神社は、通称「木嶋神社」又は「蚕の社」と呼ばれる延喜式内 社で、天御中主命・大国魂神・穂々出見命・鵜茅葺不合命を祀っている。

続日本紀」大宝元年(701)4月3日の条に、神社名が記載されていることから、それ以前に祭祀されていたことがわかる古社である。

この嵯峨野一帯は、古墳時代に朝鮮半島から渡来し、製陶・養蚕・ 機織などにすぐれた技術をもっていた秦氏の勢力範囲で、当神社本殿 の東側には織物の祖神を祀る蚕養神社(東本殿)があり、「蚕の社」も それにちなんだ社名である。

この神社は、古くより祈雨の神として信仰が厚く、参詣の人も多かったことが平安時代に書かれた「日本三代実録」や「梁塵秘抄」など の文献からうかがい知ることができる。

社殿は明治以後のもので、本殿・東本殿・拝殿などがあり、社殿を 取囲むように巨樹が繁茂している。本殿の西側には四季湧水する「元 糺の池」という神池があり、天保2年(1831)に再興された京都三鳥居 の一つとされる石製三柱鳥居が建つ。

例祭は、毎年10月10日に行われるが、夏季土用の丑の日には、 この池に手足を浸すと諸病によいという庶民信仰がある。

市内でも最古に属する当神社は、境内 から清泉が湧き、巨樹が繁茂して古来の 姿をよくとどめており、京都発展に大き な役割を果してきた秦氏との関連を含め、 大へん貴重なものとして昭和60年6月 1日に京都市の史跡に指定された。

推定面積11.131㎡

(境内の案内より)

「うがやふきあえずのみこと」の表記は、書籍によりまた神社により異なります。『古事記』では天津日高日子波限建鵜草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)、『日本書紀』では彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)と書かれています。ここでは、木嶋神社境内表記の最もシンプルな「鵜茅葺不合命」としました。

2014/12/12(金) 18:36:48|屋根|

powered by Quick Homepage Maker 4.8
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional