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武蔵は遅刻しなかった?

武蔵は遅刻しなかった?

巌流島の戦いでわざと遅刻し、佐々木小次郎をイラつかせ、勝利を得た

武蔵

と、1950年生まれの記者は、本で読み、漫画で読み、大村昆による江戸むらさきや、花らっきょうのTVコマーシャルでも刷り込まれてきた。ところが「そうでもないらしいぞ」という説が、最近よく話題に上る。
先日7月6日付け朝日新聞の(文化の扉 歴史編)というコーナーでも「遅刻しなかった? 宮本武蔵」という記事があった。

諸国武者修行で60余度の戦いに勝利し、剣聖と呼ばれる二刀流の達人・宮本武蔵。最後となった巌流島の戦いでは、遅刻して相手をいらだたせ、勝ちを収めたとも言われるが、実際は…というものだ。

これをさらに詳しく、武蔵の生涯を研究し、武蔵の兵法の術理研究をライフワークとするのが、防水工事団体事務局長を務める福田雅春さん。

これまでの研究を纏め、このほど「宮本武蔵の兵法と其の生涯」を上辞した。

宮本武蔵の兵法と其の生涯

福田さんによると

武蔵が五輪書の執筆を終え、自らの死の直前に残した21ヶ条からなる人生の心情を記した「独行道」の最後に見られる「常に兵法の道を離れず」という言葉こそ、兵法者として生きた武蔵の生涯を収斂した言葉になったのであります。武人としての「兵法の道」、すなわち武蔵の悟道の基礎をなしていたものは武蔵が生涯を通じて持っていた「腹(丹田)の意識」であり、その「呼吸」とともに身体動作のみならず、武蔵の精神構造の奥深いところまで影響していたものと考察致します。

そして、そのような激動の時代に武蔵が生涯持ち続けた武士としての誇りと、たゆまぬ兵法修行により到達した武蔵の高潔な精神的境涯というものは、混沌とした現代に生きる我々日本人にも相通ずるものがあると思うのです。

福田雅春氏
昭和24年東京生まれ。防衛大学校(16期)を卒業し、昭和47年航空自衛隊入隊。ナイキ整備幹部を経て昭和50年退官、防水材料メーカーの日新工業(株)に入社。平成20年から日本アスファルト防水工業協同組合事務局長を務める。業務の傍ら、合気道の修行に励み平成元年からは調和道丹田呼吸法の鍛錬を通して呼吸と身体意識の関係を研究。宮本武蔵の足跡をたどり通説にとらわれない武蔵の真実の人間像を明らかにして武蔵が残した兵法の術理研究をライフワークとする。
現在、公益財団法人合気会支部・鍬守(くわもり)道場の合気道師範。公益社団法人調和道協会理事。練馬区合気道連盟理事。

2013/07/15(月) 00:13:11|ひと|

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