国宝名古屋城の金のシャチ
国宝名古屋城の金のシャチ
昭和20年の名古屋空襲で、本丸の大部分と本丸御殿は焼失した。再建されたのは昭和34年(1959年)。創建当時の鯱には慶長大判1940枚(現在の金額では10億円とも20億ともいわれる)が使用され、徳川の権力・財力を誇示したものだ。
昭和34年に作られた原寸大模型。
鯱は空想上のきもので、水を呼ぶといわれるため、火除けとして屋根に置かれた。初代の鯱は昭和20年に、天守とともに焼失した。
権力財力の象徴だった金の鯱は、藩の財政困窮に伴い、3度にわたって改鋳された。中でも2度目の文政10年(1827年)には金の純度が大幅に落とされた。そのため光沢が鈍ったのを隠すために鯱を覆っていた防鳥用の金網の目を細かくしたという。
こんなお土産も人気だ。
左:雌鯱、右:雄鯱
雌の鯱と雄の鯱。雌雄が有るのをご存じだろうか。金の厚みはいずれも18金の0.15ミリ。南側が雌で高さ:2、579ミリ、重さ1、215キロ、鱗の枚数126枚、金量43.39キロ。
北側の雄は、高さ2.621ミリ、重さ1.272キロ、鱗の枚数112枚、金量44.69キロ。となっている。
2014/04/13(日) 00:29:39|屋根|