吉村昭「虹の翼」あるいは二宮忠八と防水の起源
吉村昭「虹の翼」あるいは二宮忠八と防水の起源
飛行神社と二宮忠八資料館
京都・石清水八幡表参道一の鳥居そばに創建された飛行神社。航空殉職者や先覚者の御霊を祀り、零戦やF104のエンジンも展示されている。
明治時代、空を飛ぶことを真剣に考え、ライト兄弟よりも早く有人飛行機の設計に取り組み、日本で最初に動力による実験飛行に成功した日本航空界の先駆者である二宮忠八。吉村昭は昭和52年、発見された忠作の日記から、忠作の動きを追って、「茜色の雲」として京都新聞への連載を開始した。そして昭和55年「虹の翼」として文芸春秋より、発刊された。
アスファルトルーフィング工業会・佐々木隆一郎氏から「「虹の翼」に「燃土与燃水献上」の話が出ているよ」と教えていただいた。同書P183~184。
忠八はそれまで石油はランプに使うものと思い込んでいたのに、それが効果的な動力源になるなどとは想像もしていなかった。そこであらためて石油について関心をいだき、発動機に強い興味を持ち、石油についての文献をあさる。
そして、
石油のことが初めて記録されたのは「日本書紀」である。天智天皇七年(668年)のくだりに「越国献燃土燃水」とある。越国徒は越後(新潟県)で、「燃土」とは石炭、「燃水」とは石油のことである。
と書いている。
注:もちろんこの時代の常で、「燃える土」を瀝青または石炭、泥炭、などとしていることも多い。しかし現在では「燃える土」は、土瀝青=天然アスファルトと考えられている。日本書紀の記述にもとづいて「燃土燃水」を献上される近江神宮や旧日本石油の社史3部作においても「燃える土=天然アスファルト」と解釈されている。
2013/08/20(火) 11:59:36|「日本書紀と瀝青」|