ここにも「日本最古のアスファルト舗装道路」
ここにも「日本最古のアスファルト舗装道路」
日本最古のアスファルト舗装道路は 秋葉原の昌平橋?信濃町の聖徳記念絵画館前?長崎のグラバー園?
いろいろな説がありますが、「いったいどれなんだ?」という記事を書きました。
明治11年(1878年)初代 東京府知事 由利公正によって神田昌平橋のアスファルト舗装工事が行われた、というものです。「実は日本初のアスファルト舗装」のタイトルを巡って長崎グラバー邸にある橋とこの昌平橋とが激しい「日本初」論戦を繰り広げていたのです。紹介した5月9日付け東京新聞の記事にあるように、長崎の橋はアスファルトではなく石炭乾留物質であるタールを利用した物であることがわかり、黒沢利八が施工した昌平橋が「本邦初」のタイトルを勝ち取ったわけです。
黒沢利八がこの舗装で使用したのはもちろん秋田・豊川の土瀝青(天然アスファルト)です。
今回は、グラーバー園のものを、まだ紹介していなかったので、お見せしましょう。現在こういうものが残っています。
柵の奥、左がここでいうアスファルト舗装。右手の看板が上の写真。
舗装部分の拡大。
フレデリック・リンガー邸のすぐ下の坂道で、幅1.2メートル、長さ30メートルほどの小道だ。その一部にアスファルト舗装(ここにはこう書かれている)の断片部が残っている。
長崎県舗装協会の調査報告では「文久3年(1863年)ごろグラバー邸建築と並行 して造られた散歩道のようで。路面に玉砂利を5 センチほど敷きならし、その上にタールを用いて舗装したようだ」とある。
晩年、心臓を患ったリンガーは、急坂上の自宅に戻り時、人力車ご通れるように舗装した。港に停泊中の船の位置からわかるように、かなりの急坂である。現在はエスカエータが整備されているが、当時の車夫は大変だったであろう。
2016/03/27(日) 22:00:33|歴史的建物を守る|