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「施工と管理」銅屋根クロニクル-24-

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あかがね、しろがね、こがね の御殿

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「こがね(くがね)」は金、「しろがね」は銀、「あかがね」は銅、ついでに「くろがね」は鉄。従って「あかがね御殿」は「銅御殿」です。銅板のことを「あか」とも言います。「うちの樋はあかやから(銅板製だから)、なんべんも盗られたんや」と、戦後の匂いが抜けきっていない頃、聞いた言葉です。
 商いで財をなし、○○王と言われた人たちは、贅を尽くして家を建て、その外皮を銅で覆いました。銅板は高価ですが、金属としての耐火性を持ち、意匠上多様な表現を可能にします。ピカピカの東京駅の印象はまだ鮮明に残っています。住宅地にそんな家が建ったら、やはり「あかがね御殿」と呼ばれてしまうでしょうね。

広辞苑で「あかがね御殿」と引いても出てきませんが、WEBで検索すると、だいたい次の3件がヒットします。加古川市の肥料王・多木久米次郎が建てた4階建ての迎賓館。九州は飯塚市の炭鉱王・伊藤伝右衛門が妻白蓮のために建てた家。ただし現存しません。伝右衛門は昨年のNHKの朝ドラ「花子とアン」に登場した、加納伝助のモデルです。そして東京・小石川の山林王磯野敬の別邸。これは平成17年、国の重要文化財に指定されました。

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「施工と管理」の連載コーナー「銅屋根クロニクルの第24回はあかがね御殿」です。

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今回取り上げたのは、有名な3つの御殿のうち、小石川のあかがね御殿旧磯野邸です。屋根は銅板葺きで、外壁も銅板が張り回されていました。

銅屋根クロニクル 24 旧磯野家住宅

(一社)日本金属屋根協会機関誌「施工と管理」№327、2015年5月号より

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2015/05/27(水) 23:18:01|屋根|

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