「今の防水業界がこれでいいのか」「いい仕事をすること、社会的貢献をすることと、防水工事で利益をあげることは両立すべきだ」と考えるあなたに!

2011年11月3日 号(№70)

2011年11月3日 号(№70) 画像の説明

2011年 霜月しもつき 平成23年、昭和86年、大正100年、明治144年

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第8回 水コンペ

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テーマ「ふたりのアーティストの家」に676件の応募
第38回日新工業建築設計コンペ(水コンぺ)の審査が10月21日に行われました。今年の応募数は676件。昨年(553件)より123件も増えました。今年の表彰式は11月16日に行われ、例年同様、新建築1月号に掲載されます。>>つづきを読む

「燃土燃水献上図」人気!! 2回の学芸員のお話も満席

末武さんの解説-2

へえ~。
日本書紀にアスファルトや石油の話が出てくるんですかあ!!
11月13日まで佐野市立吉澤記念美術館で展示。先着10人の方に招待券を差し上げます。
>>つづきを読む

屋上緑化で考えなければならない3つの外力

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「根・風・火」が3つの外力。屋上緑化、どうしてもというなら これを考えよう 田中享二先生が「建材試験情報」9月号に寄稿
建築にかかわる人間の本音としては、もともと植物を植えることを想定していない屋上に、草木なんか植えてほしくない。防水研究の第一人者田中享二東工大名誉教授の持論もそうだ。『屋上の防水層の目的は防水であって、植物を植えるためのものではない。だから出来ればやめてもらいたい。屋上緑化防水技術もまだ十分とはいえないのだから。とは言っても屋上緑化のメリットは大きく、これからの環境の時代を支える重要な技術要素である。それを市民が求めているなら、技術者として、これに応えて行く義務がある』という。>>続きを読む

絵日記

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資料第参号「アスファルトルーフィングのルーツを探ねて」その3

防水工事の歴史を記した文献として、まず挙げねばならないのは「アスファルトルーフィングのルーツを探ねて」であろう、という点で、チーフキュレーターの鶴田裕さんと意見が一致しました。同書の価値を語れる方も少ないながら何人かはいらっしゃる。しかし、その筆頭はこの方だろう、という点でも意見一致し、小池迪夫東京工業大学名誉教授に、コメントをお願いしました。

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写真左。(2011.3.10.東京工業大学 田中享二 教授 最終講義後の謝恩会にて)

「もう私が出る幕じゃないよ」と固辞されましたが、ルーフネット編集長のしつこい粘りで、「ナビゲイター」として、こんな文章をいただきました。ルーフネット初の書き下ろしです。

日新工業株式会社編著40周年記念誌

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「アスファルトルーフィングのルーツを探ねて」(1984年9月刊)を探ねて

ナビゲイター 東京工業大学名誉教授 小池 迪夫

本書は、わが国における天然アスファルトの採掘・加工・応用からアスファルト防水工法成立に至る歴史物語である。

巻頭に、日本書紀巻27天智天皇(在位668~671)の部所載『越國献 燃土與 燃水』[越國(新潟)から燃土(土瀝青)と燃水(石油)を献(たてまつった)]という故事に基づいて、人足が2人一組でそれぞれ石油と土瀝青を担いで運搬し、馬に乗った武士が監督している小堀鞆音の絵画(大手石油会社が30周年記念として制作)が飾られている(残念ながら割愛)。

さて本書の概略をたどる。

土瀝青(地瀝青とも。天然アスファルト)の開発利用は江戸時代に遡り、炭素原料や道路用などとして商売があった。それが国家的産業化の端緒となったのは明治10年開催の第1回内国勧業博覧会であると位置付けられる。

東京から紙瓦、秋田から土瀝青、新潟から石油が出品され注目されたといわれている。同年アメリカで土瀝青による舗装工事を見聞した人がこれを試みるも、失火する等で失敗に終わった。しかし翌年には東京・神田の昌平橋の舗装施工に成功したという。

紙瓦とは和紙に土瀝青を浸透させたもので、アスファルトフェルトの先駆的製品であろうが詳細は明らかでない。輸入品が何時ごろ登場したかは判然としないが、或るアメリカのメーカーが代理店を変更した際、挨拶代わりの広告に明治22年に初めて輸出したが……云々と記されている。ある時機には輸入品は6種類ぐらいに増加したようだが、正確な輸入の状況は定かでない。このような世相を反映して国産品も数多く出現したのは当然であろう。

本書には土瀝青を産業に育てるために尽力した人々が紹介されているが、煩雑になるので割愛しよう。

土瀝青の登場で建築学会でもその紹介記事が機関誌“建築雑誌”(例えば1888.5、1897.10、講演内容1905.8)に掲載している。また科学工業全書(1896)にも石油の記事がある。

産業面では1908年(M41)に大手石油会社が秋田に遠征して石油の掘削を開始して以来、幾つかの石油会社が一斉に掘削に参加し、立ち上げた掘削櫓は717本に及んだという。後に急速に減少したが、石油開発以降徐々に土瀝青から石油アスファルトへ変更されていったことは容易に想像できる。

アスファルト防水で最も早期な例は、1908年8月(M38)竣工のガス会社事務所ビルの一部の張出しにアメリカから輸入された材料と工法で施工されたものであるが、それが一般化するには数年の年月を要した。明治・大正の転換期1945-46、M45-T2)に大阪で竣工した少数の小規模な建築の屋根に、アスファルト防水が施工された記録があるが材料が国産品か輸入品かは不明である。

明治時代の末期から、アスファルトルーフィングの製造盛んになり、第一次世界大戦中(1914-1918、T3-7)及びそれに続く好景気時には業界の競争は激化した。その景気に乗じてある会社が大資本を投じて、アメリカから最新鋭の製造器を輸入しアメリカ人技師を招聘して創業したが、その頃には不景気風が吹き始めていた、という悲劇もあったようだ。

1923年(T12)の関東大震災の復興には便利瓦と呼ばれていたアスファルトルーフィングが引く手あまたとなり、小規模のメーカーがそれぞれ小事故を経験しつつ需要に応えるべく頑張ったといわれている。

関東大震災の被害に直面して当局は学校建築の不燃化の重要性を認識し、1923年(T12)設計の小学校2校の設計書及仕様書に、輸入品によるアスファルト防水工法が指定された記録がある。1928年(S3)の設計書には、アスファルト及びアスファルトルーフィングは国産品2種を例示しそれと同等以上と指定したように、国産品の生産態勢が整備されつつあるように思える。その他幾つかの設計例もあるが、ここでは割愛しよう。

現国会議事堂(当時帝国議会議事堂)は、全て国産の建築材料を使用する方針の基に1920年(T9)起工し、1936年(S11)竣工した。その過程において、アスファルトルーフィング業界の一面を物語る経過があった。国会議事堂の防水工事は7回に分割されて施工されたが、1928年5月(S3)の第1回の工事では、プライマー、ウォータープルーフィングセメント、スタンダードファブリック(筆者注:網状ルーフィング)は、当時の国産品は品質が十分でなかったとして輸入品が指定された。しかし1929年9月(S4)からの第2回の工事からは総て国産品が指定された。

筆者の所感:

上記の経過は第1回の防水施工はアメリカ某社の仕様をそのまま採用したことを示すもので、国産メーカーは1年ちょっとの間に鋭意輸入品と同等の製品を製造した経緯が見て取れる。
なお、筆者が長年疑念に思っていたアスファルト防水層の構成で、網状ルーフィングが重用されてきた理由を理解することが出来た気がする。

むすび
以上、日新工業株式会社創立40周年記念誌の内容を非常に掻い摘んで紹介したが、失礼があってはならないと固有名詞を用いなかった。そのため分かり難い面があったことをお詫び申し上げます。

最後に、本書は学会誌、出版物、会社案内等を含めて、既往文献113編にわたり収集調査し、既に社長が故人となった会社案内では遺族に尋ねて調査して読み解き、217ページに及ぶ優れた編著に仕上げたもので、その努力に深甚なる敬意を表するものであります。

2011.10.21


「BOUSUIデジタルアーカイブ」防水歴史図書館

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我が国の防水の歴史を考察する上でどうしても欠かすことのできない文献が何冊かあります。
防水歴史図書館(BOUSUIデジタルアーカイブ)では、そんな文献を1冊ずつ選び、本が書かれた当時の様子、おもな内容、その本のどこが「すごい」のか、現在生きる人たちにとって、どんな価値があるのか、それぞれの資料を担当するキュレーターが、時には執筆関係者への取材を交えて、分かりやすく解説します。

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