防水関係者のための百人一首講座 その2
紫式部親子が住んだ武生で見た「雲がくれする」前、「夜半の」6時間前の「月」
防水関係者のための百人一首講座 その2
めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな
紫式部
おもひだしダイアリー
福井県の武生(たけふ)に行ったのは10月15日。旧暦では長月9月8日。上弦の月だ。武生は越前の国府(首都)だった。天智天皇が「越の国」から燃える土「瀝青」と燃える水(原油)を献上されたのが668年。その直後、越の国は越前、越中、越後に分割された。武生は紫式部が越前守として赴任した父と一緒に住んだ街である。
上限の月は6時頃に沈む。夕ぐれの蔵の屋根と月はなかなかいい位置関係にある。
百人一首にある式部の歌は
「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな」
久しぶりに逢ったというのに
あなたかどうかもわからないうちに
雲の間に隠れてしまう夜更けの月のように いなくなってしまった
式部のこの歌は、新古近集からとられたもので、7月10日頃の月を詠んでいる。詞書には「式部は幼友達に何年ぶりかで会った。久しぶりでと喜んだのもつかの間。友人は早々に帰ってしまった。7月10日ころの月が出ていたのだが、その月が夜半に姿を隠すように(10日頃の月は夜半に入る)味気なくすげないめぐり合いで会った。
防水関係者のためのこじ付けリレーション
紫式部と防水:式部は生涯1度だけ都以外の地に住んだ。それが父の赴任先越前。その国府であった武生に今では式部公園がある。越前は天智天皇の時代からほどなく「越の国」が越前、越中、越後に分割された。要するに「越」つながりという、かなり強引なリレーション。
はずれついでに「狂歌百人一首 紫式部の段」
名ばかりは五十四帖にあらはせる 雲がくれにし夜半の月かな
2010/12/30(木) 00:42:44|MUSICフォーラム|