「今の防水業界がこれでいいのか」「いい仕事をすること、社会的貢献をすることと、防水工事で利益をあげることは両立すべきだ」と考えるあなたに!

日石・コスモの社史は日本書紀「燃土・燃水献上」から始まる

アスファルト(瀝青)・原油の起源は日本書紀で

「日石50年」

昭和12年に日本石油が発行した記念誌「日石50年」

橋本圭三郎社長は「巻頭に題す」で

「草創当時、山師(やまし)仕事と賤(いや)しまれた此の事業も、今では国防上に、産業上に、また交通上に、重大な役割を演じ、その消長は直ちに国運の隆替(りゅうたい)と相関するやうになった。

…と述べている。

そして本文第1ページ「創業と第1次進展」の章は、いきなり

日本書紀に依ると、天智天皇の七年(今より1269年前)七月の條に、越の国より燃土燃水を献ず、とある。燃土はピッチかアスファルトであろう。燃水は原油に相違ない。之れ我が国の石油に関する最古記録である。然るにその後約六百年、絶えて文献の徴すべきなく、

…と始まる。

画像の説明


大協石油
昭和55年に発行された「大協石油40年史」(現在のコスモ石油)

こちら第1ページの序章はこう始まる

大協石油の発祥の地は新潟県である。新潟県はまた、我が国石油産業の誕生の地であり、天智天皇の7年、西暦668年に越の国から「燃ゆる土、燃ゆる水」を献上したという日本書紀の記述は有名であるが…

「大協石油40年史」

そして両社とも、すでに本「ルーフネット」のサイトで紹介しているように、創立30年の際に、日本画の大家に「燃土・燃水献上」の画を依頼している。
創立の記念誌が「日本書紀の燃土・燃水から始まり、創立30周年事業として、大家に画を依頼する。防水業界にアスファルトを供給していた石油会社は、この「688年天智天皇7年越の国より…」の故事をいかに重要視していたかがうかがえる。

残念な現実:日本書紀に記載は「燃土燃水献上」である。燃土は瀝青、燃水は原油。画は「燃土・燃水献上図」。燃土「瀝青」が先に書かれている。でも近江神宮の祭りは「燃水祭」。石油業界の人たちが、祭りをもりたてる。近江神宮の宮司さんに防水業界とのかかわりを話した時、「そんな業界があるのですね」と驚かれた。

大協石油の記念誌では、もう1枚ページをめくると、前田青邨画伯による画が現れる。

前田青邨


彫金

10月16日より六本木。泉屋美術館で展示中。

  • 10月16日~12月12日
  • 東京六本木泉屋博古館で天智天皇・燃土燃水献上花盛器(彫金)展示
    塚田秀鏡:銀地赤銅朧銀素銅象嵌片切彫
    直径42.8センチ。高さ39.3センチ。清水三年坂美術館所蔵

防水の歴史研究会の調査では、この作品は小堀画伯の「燃土・燃水献上図」を極めて忠実に写しており、制作年代は塚田秀鏡最晩年、没年もしくは前年と推定される。

2010/10/21(木) 00:00:26|ARCHIVES|

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