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平成27年「近江神宮燃水祭」斉行 速報

平成27年「近江神宮燃水祭」斉行 速報

石油と防水の祖神に感謝し
小堀鞆音「燃土燃水献上図」(レプリカ)を奉納

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新潟県胎内市黒川支所坂上敏衛参事による燃水奉献。

7月7日、天智天皇を祀る滋賀県大津市の近江神宮で、「燃える土=アスファルトと燃える水=石油を天智天皇に献上した」、という日本書紀の記述を再現する「燃水祭」が斉行された。
 
日本最初の石油の記録は、1347年前に遡る。668年(天智天皇7年)の7月、「越の国 燃ゆる土 燃ゆる水をたてまつる」、日本書紀にはこう書かれている。燃ゆる土『燃土』とは天然アスファルトであり、燃ゆる水『燃水』とは石油のことで、『越の国』は、現在の新潟県。なかでも現在の胎内市(旧黒川村)であったといわれている。黒川村は、昔、川の流れが黒くなるほど燃水が湧き出したことから、「黒川」の地名がついたと伝えられている。

今年は7月1日、新潟県胎内市黒川において燃水祭が行われ、その折採油された原油が、7月7日、近江大津宮旧跡に再建された近江神宮燃水祭において、黒川からの使者により燃水献上の儀が、往時のままに執り行われた。まさに日本書紀の記述の再現である。

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燃水祭は世話人による点灯で始まる。燃える水側世話人は芝野桂太郎・西尾恒太の両氏。燃える土側は猪野瀬正明(写真左)・杉本憲央(右)の両世話人が点灯した。

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「燃土燃水献上図」原寸複写額装1面奉納。

越の国(新潟県)と近江(滋賀県)を結ぶ燃水祭の現在の式典構成の基となっているのが、歴史画の父・小堀鞆音が大正3年に画いた「燃土燃水献上図」である。JX日鉱日石エネルギー(旧日本石油)が所蔵する、この絵は長年行方不明であったが、2011年に発見され、小堀鞆音の生地である佐野市の佐野市立吉澤記念美術館で、本邦初の一般公開が実現した。

そしてこれを機に、石油(燃える水)関係者だけで長年行われてきた燃水祭に、防水(燃える土)関係者が参列するようになった。

同時に、この画を精密に原寸複写し、原図と同様の額装を施して奉納しようという提案が、燃える土側の世話人である・日本防水の歴史研究会から、燃水祭代表世話人の芝野氏に出されていた。今回これが実現し、燃水祭において参列者の玉串拝礼の後、奉納された。

燃水祭の世話人を代表する芝野桂太郎氏が「奉納。小堀鞆音・燃土燃水献上図原寸精密複写」額装一面。平成27年7月7日。燃水祭世話人・芝野桂太郎。 燃水祭燃土関係世話人・猪野瀬正明、杉本憲央」と目録を読み上げ、猪野瀬氏(アスファルトルーフィング工業会会長)と杉本憲央氏(日本防水の歴史研究会顧問)が神前に奉納した(写真)。

(近江神宮燃水祭の詳細は次号)

2015/07/10(金) 04:18:37|「日本書紀と瀝青」|

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