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バベルの塔の壁がなぜ白い?

バベルの塔の壁がなぜ白い?

関西初公開 10月15日まで大阪で公開
24年ぶりに来日したブリューゲルの傑作を間近に

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東京展で販売されたバベルシフォンケーキ

絵画ファンにとって魅力的な展示会であることは当然ながら、今回の見どころは東京芸術大学がサポートした、300%の拡大詳細図や内部詳細図の同時展示であり、建築か関係にはむしろ、絵画そのものよりもこれが注目されたともいえます。絵には1400人もの人々の生活の姿が描かれ、建設にかかわる人々の作業中の姿、船の構造や、操る人の姿、洗濯ものが干されている様子まで詳細に描いているのです。

史実性が問題視される旧約聖書・創世記の中で、バベルの塔の物語は世界にさまざまな言語が存在する理由を説明しています。「石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを用いた」という記述は、「古代社会の技術革新について述べており、人類の科学技術の過信、おごりへの神の戒めについて語ったものである」、という解釈が一般的です。

旧約聖書『創世記』中に出てくる大洪水(ノアの方舟)のあと、地上に唯一残ったノアとその家族。ノアの息子のうちヤフェトはインド・ヨーロッパ語族の祖先、ハムはエジプト・ペルシャなどハム語族の祖先、セムはヘブライ・アラブなどセム語族の祖先となります。聖書研究者はバベルの塔が建設されたころ、民族の数は52に達していたが、同じ言葉を話していたとしています。

同じ言葉を話していたノアの子孫たちは,東方のシナルの平地に移り住みます。そして,再び大洪水が起こった時に備え、煉瓦と瀝青を用いて、町と,高い塔の建設を計画します。この地に石はなく、天然アスファルトが近くに産したから、それを使ったのです。神はこれを見て危惧し,彼らの言葉を混乱(バーラル、バベル) させ ,その企てをはばみます。人々は塔の建設を断念して散り散りになってゆきます。そしてこの町はバベルと呼ばれるようになったというお話です。なおこの塔は,奥のみず道第5回で述べたようにジッグラトと呼ばれるバビロンの神殿をさすという説もあります。

バベルはがき DSC02206

ブリューゲルのバベルの塔が、紀元1世紀に築かれたローマの円形競技場コロッセウムから着想を得ていることは明らかです。彼はこのテーマで3点描いていることが分かっています。しかし小さな象牙板に描いた最初の絵は現存せず、1563年の板絵の大作はウィーン美術史美術館が所蔵し、今回の1568年、42歳ころの作品とされています。ブルーゲルの描いたバベルの塔は、あまりにインパクトが大きかったため、その後描かれるバベルの塔は、ほとんどコロッセウム状かつ螺旋形式の「ブリューゲル風の」塔になってゆきます。

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これは東京展のポスター

「&SEALANT」は、わが国のシーリング材メーカーが加盟し,賛助会員として原材料メーカー、販売店が加入する全国に7支部を有する全国的組織である日本シーリング材工業会が年4回発行している機関誌です。機関誌「& SEALANT」の2013年12月10日発行№83から奥のみず道「ぶらモリタ」シリーズが始まりました。
狙いは、屋根と雨仕舞のウェブマガジン「ルーフネット」編集長が全国をブラブラしながら、古の人達が防水や雨仕舞にどう取り組んできたか、または歴史的建築における防水という視点で、防水やシールのルーツを探ったりヒントや知恵を見つけたりといった内容です。シリーズタイトルの「ぶらモリタ」は日シ工飯島義仁広報委員長、「奥のみず道」は&SEALANT製作担当の阿部栄治氏の命名です。

バックナンバーはこちらでご覧ください。
>>「奥のみず道」

奥のみず道"ぶらモリタ"第15回

「&SEALANT」の2017年9月10日発行№98
(画像をクリックすると拡大します。)

15バベル再び2 (2)

15バベル再び2

2017/09/20(水) 09:20:22|「奥のみず道」|

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