「今の防水業界がこれでいいのか」「いい仕事をすること、社会的貢献をすることと、防水工事で利益をあげることは両立すべきだ」と考えるあなたに!

バベルの塔のモデルとなったジグラット

バベルの塔のモデルとなったジグラット

舞鶴赤れんが博物館で、煉瓦と模型展示。

ウルのジグラット(聖塔)イラク南部の模型(舞鶴煉瓦博物館)

舞鶴ジグラット

舞鶴赤れんがパーク http://akarenga-park.com/facility/musium/ の展示。

赤れんが博物館の建物は、明治36年(1903)に旧舞鶴海軍の魚雷の倉庫として建設された。鉄骨とれんがを組み合わせた建築物としては、日本に今もある建物として最も古いもののひとつ。

5000年前の超高層建築のシーリング材として、ルーフネットはバベルの塔のことを紹介しています。

バベルの塔:かつて世界中に言葉はひとつしかなく、みな同じ言葉を話していた。東からやってきたあるグループが、シンアルの地に住み着いた。 そして「レンガを焼こう」と話あった。石の代わりにレンガを、漆喰の代わりにアスファルトを用いて、「さあ天まで届く塔のある町をつくり有名になろう」と言った。

神は塔を見て「彼らは一つの民で、みな一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が理解できないようにしよう」と言った。そして彼らをシンアルの地から全地へ散らされたので、塔と町の建設はストップした。町はバベル(混乱)と呼ばれるようになった。神が言葉を混乱させ、人々を散らしたからである。(旧約聖書 創世記11章 1~9節)

画像の説明
ブリューゲル「バベルの塔」1563 ウィーン美術史美術館

この話は、「奥のみず道」で書きました。↓参照
>>「奥のみず道」第5回は聖書と防水「バベルの塔」のはなし

画像の説明

史実性が問題視される旧約聖書・創世記の中で、バベルの塔の物語は世界にさまざまな言語が存在する理由を説明しています。「石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを用いた」という記述は、「古代社会の技術革新について述べており、人類の科学技術の過信、おごりへの神の戒めについて語ったものである」、という解釈が一般的です。
旧約聖書『創世記』中に出てくる大洪水(ノアの方舟)のあと、地上に唯一残ったノアとその家族。ノアの息子のうちヤフェトはインド・ヨーロッパ語族の祖先、ハムはエジプト・ペルシャなどハム語族の祖先、セムはヘブライ・アラブなどセム語族の祖先となります。聖書研究者はバベルの塔が建設されたころ、民族の数は52に達していたが、同じ言葉を話していたとしています。

同じ言葉を話していたノアの子孫たちは,東方のシナルの平地に移り住みます。そして,再び大洪水が起こった時に備え、煉瓦と瀝青を用いて、町と,高い塔の建設を計画します。この地に石はなく、天然アスファルトが近くに産したから、それを使ったのです。神はこれを見て危惧し,彼らの言葉を混乱(バーラル、バベル) させ ,その企てをはばみます。人々は塔の建設を断念して散り散りになってゆきます。そしてこの町はバベルと呼ばれるようになったというお話です。なおこの塔は,奥のみず道第5回で述べたようにジッグラトと呼ばれるバビロンの神殿をさすという説もあります。

2018/09/08(土) 09:34:07|「聖書と防水」3部作|

powered by Quick Homepage Maker 4.8
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional