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「本邦油田興亡史」

「燃える土」がアスファルトであることを明示してくれた本

長 誠次 著「本邦油田興亡史」

本邦油田興亡史

日本の石油史を考察する上で最も重要な文献は、大正3年日本石油が東京移転に際して、また東京大正博覧会にあたって刊行した「日本石油史」だろう。さらに大正6年には「縮刷版日本石油史」が創立30周年を記念して発行された。

長 誠次さんはその「日本石油史」編纂の最中、日本石油に入社した。勤務17年にして昭和4年退社、諸般の事業を経験した後、昭和28年月刊誌「石油文化」を創刊した。日本石油は昭和33年、創立70周年記念事業として、すでに評判の高かった、大正3年刊の「日本石油史」の改定増補版ともいうべき、新訂「日本石油史」の発行を計画し、その編集・校正の全てを長氏に委ねた。長さんは3年間取材と執筆に没頭したそうだ。

そして完成後(石油文化社 2代目社長・奥田秀雄氏によれば)、「長誠次は取材の折々に収集し、見聞した資料に基づき<古き良き時代の石油の山>に限りない哀惜の想いを秘めつつ執筆を継続し、月刊石油文化誌上に昭和33年4月号から昭和35年5月号まで26回に渡って連載した」。それを纏めて「石油文化」創刊15周年記念として刊行したものが「本邦石油興亡史」である。

本邦油田興亡史 中

その長さんの溢れる想いの滴りの中で見つけた、われわれのキーワードを紹介します。
第1章「草生水(くそうづ)献上考」より

献上の動機
献上者はだれか
献上地はどこか
燃土燃水とは何か

この部分のみ引用する。

燃水が石油であることはまず疑問の余地がないとして、燃土が何であるかにつぃては諸説おこなわれ、断定はできない。これらをまとめると次のとおりとなる。

石炭類説(①石炭説 ②泥炭説 ③草炭説 )
石油類説 ⑤アスファルト説 ⑥油土(液体の石油が浸潤した土壌)説
―――略―――
燃土は燃水とともに祥瑞として献上された、という立場から見れば、燃えないはずの土状のものが、なぜか良く燃えることを偶然発見し、驚いて管司に届けたというのが祥瑞としての献上であるから、その献上物は泥炭のような性質のものではなく、もっと燃焼度の高い、人工を加えす、自然のままでも、よく燃えるのでもなければならい。
したがって燃土は泥炭ではなく、アスファルトの類だと推定される。

※長氏は膨大な過去の文献調査と、取材を通してこの結論を導いている。(この項続く)

2011/03/22(火) 11:59:05|ARCHIVES|

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